By whenis , 5 4月, 2016

男友力(nán yǒu lì)

意味

日本語の「女子力」から由来した言葉で、その意味はボーイフレンドとしての資質、能力で、ボーイフレンド指数とも言える。

この「男友力」には外見、責任感、優しさなどが含まれ、グレードアップ版は「男友力MAX」と言う。

使い方

他很有男友力。

彼には相当「男友力」があります。

有一个男友力满满的男朋友是什么体验?

「男友力」満点のボーイフレンドがいるのはどんな感じですか。

他在街上对女生大声吼叫,男友力遭质疑。

彼は道端で女性に大声で怒鳴ったので、その「男友力」が疑われました。

他的什么行为让你觉得男友力爆棚?

By whenis , 4 4月, 2016

公主病(gōng zhǔ bìng) プリンセス症候群

意味

自信過剰の一部の女性がお姫様扱いされたがることを指す。同じ特徴を持つ男性の場合、「王子病」という。

このような人は依頼心が強くて、自己中心的に物事を考える。責任感がなく、問題を抱える時、常に他人のせいにする。冷静な自己評価ができなく、意志の強さと我慢強さがなく、他人を理解したり、自分の感情をコントロールしたりすることに弱い。なので、職場では人間関係が上手くいかなく、恋愛や結婚生活に関するトラブルも多い。

このような若い女性が増えた背景として、経済成長期に裕福で忙しい親が子どもに昔ほどきちんと躾ができない、逆にモノを与えすぎることが挙げられる。今の中国では、周杰伦(ジェイ・チャオ)が(『公主病(プリンセスシンドローム)』)というタイトルの歌を発表するほど話題になった。

By whenis , 2 4月, 2016

A4腰(A sì yāo)

A4サイズの紙の幅より細い腰。

A4サイズの紙の幅は21センチ。つまり、21センチ以内なら「A4腰」になる。

ダイエットと言うと、今までは「脚」が注目されていたが、今年の春は、「A4腰」が話題を独占している。

しかし、誰でも「A4腰」になれるわけではないので、「餓死すればいいのか」、「もう生きていられない」などと怒る人もいる。中には、「A4紙を横にしてはだめなの」とか、相撲の力士の背中にA4サイズの紙を貼っている絵を回す人もいる。

二(èr)

意味

北方方言で、言行が常識を外れる意味で、互いに「バカだ」とからかう時にもよく使われる。

現在では、流行語として人間の性格を形容する。文脈から、相手をけなす意味か、自嘲の意味かがわかる。一般的には、知らない人に使う場合、相手をけなす意味。親しい人に使う場合、相手をからうか、相手の行為に仕方がないと思う気持ちを表す。男性に対して使うことが多いが、女性に使うこともある。

使い方

By whenis , 1 4月, 2016

作者、王安石は北宋の政治家。文学者。撫州臨川(現・江西省臨川)の人。宰相になり制度改革を強行しましたが、保守派の反対に遭い、失脚して引退します。散文に優れ、唐宋八大家の一人でもあります。詩のタイトルの「夜直」は宿直のことで、王安石が学士院で宿直をした時の詩です。金炉は宿直室にある金でできた香炉のことで、漏声は水時計の水がしたたる音です。この1句目はずいぶん時間が過ぎたことを言っています。2句目は状況です。翦翦は軽風、つまりそよ風がさっと吹く様子を形容した言葉で、陣陣は寒さが切れ切れに続くこと言っています。寒さ、と言ってもここでは冬の寒さではなく、春の肌寒さでしょう。春色は、春の気配。夜、寝ようと思うと冬と違っていつの間にか暖かくなっていて、「ああ春だなぁ。明日早起きしてみようか」などと、ちょっとそわそわして眠れない感じですね。そして、外を見てみるとさっきまでは地面にあった花の影が、月の位置が動いたことで欄干のあたりにまで上っている。情景描写も心理描写もみごとで、一枚の絵が浮かび、春の雰囲気を存分に伝えてくれます。前回紹介した蘇軾の「春夜」と並んで、春の夜を詠った名詩です。

By whenis , 1 4月, 2016

作者、惲格は清代の画家。江蘇省の人です。字(あざな)は寿平,号は南田などで、明の末、清の初めの頃の六大画家四王呉惲(しおうごうん)の一人です。写生画風の色の付いた花鳥画を得意としました。いつもは詩人の作品を紹介してきましたが、今回は画家の作った漢詩です。確かに、この詩、色彩の無くなった冬、白い雪景色の中、窓辺に咲く濃いピンクの椿が描かれた一幅の絵を見ているような感じです。寒花は寒い時期の花、つまり冬の花のことです。この花が寒くなってから咲くと約束しているという発想が新鮮でした。花と言うと春や夏を思いますが、この時には咲かず寒くなるまで約束を守って咲くのを待っていてくれたんですね。東風は春風のことで、桃や柳と言う単語から薄ピンクや柔らかい緑色が思い浮かびます。山茶は椿のことですから、桃のピンクよりも濃いピンク色、柳の緑よりも濃く深い緑色の葉です。この色のコントラストが見事で、さすが画家の作った漢詩だなぁと思いました。

By whenis , 30 3月, 2016

作者、高適は盛唐の詩人。山東省浜県の人。若い頃は学問を好まず、任侠放浪の生活を送り辺境を回りました。李白、杜甫と知り合い、50歳から詩を作りはじめ最後は、中央の高官に至ったというユニークな経歴の持ち主です。豪放ですが節義も重んじる性格を反映して、気骨あり重厚な作風で知られます。

詩のタイトルにある董大とは、董庭蘭(とうていらん)という 当時の琴の名手です。作者が四川省彭州(ほうしゅう)で長官をしていた時、董大が全国各地で演奏会を開き彭州へ来て、また去って行くときの送別の詩です。出だしの千里は十里としている書物もありますが、中国のスケール感から言えば、千里の方がふさわしいのではないでしょうか。黄雲と聞くと、黄砂の舞い上がる様子が浮かびます。雁に取って北風は向かい風、雪も次から次へと襲ってきます。紛紛は、ここでは次から次へとという意味です。ここまで、厳しい自然状況を詠っていますが、後半は作者の優しさが溢れます。前路、これから行くところに知己、親しい人がいないと心配しないで。あなたは琴の名手で、あなたのことを知らない人は誰なのか、つまり知らない人はいないのだからと励ましています。前半の描写が厳しいものだけに後半の句の温かさが活きてきます。作者高適の性格をよく表しているように感じました。

By whenis , 29 3月, 2016

作者、楊万里は南宋の詩人。江西省吉安市の人。真っ直ぐな性格で妥協をしなかったので、中央では出世できず地方官の職を務め、国士監博士などを歴任しました。晩年は、ふるさとでひっそりと暮らし83歳でこの世を去りました。4200余首というたくさんの詩を残し、同じ時代の陸遊、範成大とともに南宋の三大詩人と言われています。

By whenis , 28 3月, 2016

作者、岑参は盛唐の詩人。湖北省の人。名門の出身ですが、若くして父を亡くしたため、苦学して進士の試験に合格します。現在の新疆ウイグル自治区のクチャや何度か辺境の地に赴きました。こういった体験に基づき辺境の詩を多く作りました。友人でもある高適、王之涣らとともに辺境詩人と称されています。

タイトルの玉門は、長安、現在の西安から約2000㎞離れた玉門関のこと。ここに作者は来ているようです。北海道の札幌から九州の福岡までは約1500㎞。それより遠く、昔のことですし大変な旅だったでしょう。私は、玉門関へ観光で行ったことがあります。飛行機や専用バスで快適な旅でしたが、それでも玉門関からその先に広がる砂漠の景色を見たら荒涼としていて、さみしい気持ちになりました。ここから、西安にいる李主簿に書いた手紙のような詩です。李主簿がどんな人物なのかは、わかりませんが主簿は下級の役人のことです。「故人」は親しい友人のことで、李主簿です。「一行の書」は短い手紙。「どうして短い手紙もくれないんだ」と恨みがましくも聞こえますが、むしろさみしい心のうちを吐露しているのでしょう。残りの句を見れば解ります。「歳除」は、大晦日のことで、中国では一家団欒の日です。その日に家族や親しい友人とはなれて、目の前には荒涼とした砂漠の景色が広がっている訳ですから、さみしい気持ちは募りますよね。

By whenis , 26 3月, 2016

作者、元稹(げん しん)は中唐の詩人。牡丹の花が有名な洛陽の人。幼い頃に父を亡くし母親が女で1つで育てたと言われています。中国を代表する詩人白居易と同じ試験を受け、8歳ほど年下ですが、親友になったようで二人は、元白とも称されるほどでした。解りやすい恋愛の詩なども多く、民間の人に愛された詩人です。

タイトルの歳日は、元日のことです。もちろん旧暦の1月1日です。この日から今年が始まり、「前事は空し」の「前事」は、以前の出来事の意味ですから、去年のことです。確かに、歳が改まるとなんだか昨日までのことに興味がわかなくなり、実体がなくなるような感じですね。「凄涼たり 百年の事」の凄涼は、もの寂しい意味で、百年とは人間の一生のことを言っています。実際の寿命からするとちょっと長いのですが、そこは「白髪三千丈」の漢詩の世界ですから。最後の「応に」は、きっと~にちがいないと言う意味ですから、きっと1年と同じようなもの。と人生の百年と今年1年とを同じようにとらえているようです。あっという間に過ぎてしまうということですね。新年、お正月の詩ですがお目出度いウキウキした雰囲気よりも、ものさみしい雰囲気に溢れています。確かに、お年玉をもらえたり親戚にあったり無邪気にお正月を喜べるのは子どものうちだけなのかもしれません。

By whenis , 25 3月, 2016

作者、作者、蘇轍は北宋の詩人。眉山(四川省)の人。兄は蘇軾。父の洵とともに並び称されています。19歳の時に兄の蘇軾一緒に進士に及第し、地方官を歴任しました。中央の役人としても活躍しましたが、55歳の時に左遷されました。この詩は、50歳の時に契丹に派遣された時に作った詩だと言われています。半年間ほどの旅だったようですが、遼の国王の誕生祝に派遣されたようで、ある意味屈辱的なお遣いだったようです。 詩のタイトル「春日内に寄す」の「内」は妻のことで、契丹の地から帰れる喜びを妻あてに書き綴って送ったものです。1句目の燕山は北京の東にある山の名前。帰骖の骖は馬車を引く馬の意味です。日を迎えてとは、あらかじめ日を数えること、カウントダウンですね。嫖姚は軽やかな身のこなしの様子。いつも仕事に使っていた馬車の馬たちも帰任が決まったご主人である蘇轍の気持ちを察して、うきうきしていると歌っていますが、これは、もちろん蘇轍自身の嬉しい気持ちを馬に代弁させています。華髪は白髪のことで、それだけこの地の仕事が大変だったということでしょう。東風は春風の意味です。弊貂の弊は形が崩れた様子。貂は毛皮が珍重されるテンです。春風が吹けば、重いコートを脱ぎたくなりますよね。この詩には後半があって、蘇轍の妻のことを思い、詠っています。今時風に言うなら、単身赴任が終わり妻の下に帰る喜びが溢れた詩ということになりますね。