By whenis , 11 5月, 2016

作者、範成大は南宋の詩人。今の江蘇省蘇州の人。陸游や楊万里と並んで南宋を代表する詩人です。役人としていろいろな役職を歴任しました。体調不良を理由に引退し、68歳で世を去るまで蘇州郊外の石湖のほとりで悠々自適な生活を送りました。この石湖のほとりで見た風景などを詩にしているうちに、「田園雑興」というタイトルで1年間で60首になりました。これを季節ごとに「春日」「晩春」「夏日」「秋日」「冬日」の5つに分け、それぞれは12首。今日紹介したのは「夏日」のなかの9首目の作品です。1句目の黄塵、中国の土地はまさに黄土ですから、埃の色は黄色。ほこりにまみれた汗は、漿、麦の粉をといた水のよう、納得です。井香りは、香ばしい井戸水の意味ですから、作者の家には、冷たい井戸水があったのでしょう。確かに、現在、一般公開されている範成大の石湖の別荘には、清水がこんこんと湧き出ている「石湖」と名付けられた井戸があるそうです。この詩は、すごく暑い風景の描写から始まっていますが、2句目の井戸水、4句目の柳の木陰を吹き渡る涼風と読み進むうちに涼やかな気分になってきます。間もなく、暦の上では秋を迎えますが、まだまだ厳しい暑さが続きます。せめて、漢詩の世界で涼をとってください。

By whenis , 10 5月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並び称され、日本でもよく知られています。四川の人で出身地から青蓮居士(せいれんこじ)の号があります。62歳で病のために没しますが、一説には、酒に酔って船に乗っていた時、水に映る月を捕ろうとして、溺死したとも言われています。生き方と共に作品も天衣無縫でスケールの大きさを感じさせるものが多くあります。今日紹介した詩も目の前の景色をダイナミックに詩にしています。「日は香炉を照らし」、の香炉は廬山の中の香炉峰のこと。白居易の「香炉峰の雪は簾をかかげてみる」でもお馴染みかと思います。そして、清少納言の枕草子にも登場します。峰から立ち上る霧が、香炉から香の煙が立ち上っているように見えることから、この名前が付いたようです。滝の水が三千尺、1尺は30センチですから900メートルに渡って落ちる、これはもちろん実際の長さと言うより、それだけ凄いスケールだということです。李白らしさが表れている1句でもありますね。想像しただけでも涼しくなれそうです。百聞は一見にしかず。やはり実物をみてみたいですね。

By whenis , 6 5月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。豪放に生き、一説によると酒に酔って湖に映る月を捉えようとして湖に落ちて溺死したとも言われています。私はこんな風に聞き、李白は酒好きの無粋なおじさんというイメージを持っていた時期がありました。でも、いろいろ彼の作品を調べていったら、こんな藤の花を詠った詩もあります。私にとって藤は初夏の花ですが、この詩では「陽春」、春のようです。詩の中で鳥を隠してしまうほど葉が茂っているようですから、やはり初夏かなとも思います。花の咲く時期は地域や年によっても違うのでしょう。紫の藤の花が雲のような大きな木にかかっている。花が咲くではなく掛かっているというところが、藤の花の特徴をよく捉えています。密葉は密に生い茂った葉のこと。歌鳥は囀る鳥のことですが、確かに鳥の囀りは歌に例えられることが多いですね。香風、芳しい風ですが、藤の花の香りがふんわりと漂っていると言うことでしょう。そんな藤の香りは美しい人でさえ、思わず足を止めてしまうと言っています。月こそありませんが、まさに花鳥風月。目の前に情景が浮かび、香りも漂ってきそうな詩です。

By whenis , 4 5月, 2016

作者、秦観は北宋の詩人。江蘇省の人。蘇東玻の有名な4人の門下生の1人です。

暦の上で処暑も過ぎ、北京では朝晩などだいぶひんやりしてきましたが、広い中国まだ残暑の厳しいところも多いようです。熱帯夜という言葉に縁のない北京ですが、南の方はそういう訳にはいきません。エアコンなどの無かった昔は、夜涼みに散策にでかけたのでしょう。柳外、柳の並木の向こう側。画橋は欄干に意匠を凝らした彫刻のある橋の事。胡牀は横になることができるくらいの長い椅子のようなもの。そこにもたれて休んでいると、目には月明かりが映り、耳には船の汽笛が聞こえ、鼻には蓮の花の香りが漂ってくる。風が止んでも、涼やかな雰囲気が漂います。まさに五感で涼を求める感じです。この詩を聞いて目に浮かぶのは、蒸し暑い夏の夜ではなく、美しい夏の夜です。

By whenis , 1 5月, 2016

广场舞(guǎng chǎng wǔ)

健康のために広場、公園などで集団で行う健康ダンス。参加者には中高年の女性が多いが、男性もいる。太極拳と同じように、皆が一人の上手な人について、音楽に合わせて踊る。音楽は太極拳と違って、民族風のディスコだったり、ダンスに合うポピュラーソングだったりして、地域や時期によって異なる。ダンスと言っても、健康志向的なものなので、体操とダンスの間にある。

1990年代に入ってから県クラス以上の都市では、インフラ施設として多くの広場ができた。そもそも中国では、朝食前の運動のほかに、夕食後にも散歩する習慣がある。その散歩が今の「广场舞」に代わっている。

しかし、人々のライフスタイルも変わってきて、「广场舞」の音楽がうるさい、やめて欲しい人と感じる人も出てきた。騒音とみなされ罰金を払わされた事例もある。健康のためとはいえ他人の生活を邪魔するのはよくないので、適切な場所や時間帯を選んで、音量を最低限にすることが必要。

By whenis , 1 5月, 2016

作者、李賀は中唐の詩人。役人としては下級で失意のうちにわずか27歳の若さで他界してしまいます。今日紹介した詩でもわかるように今までの詩とはだいぶ雰囲気が違います。幻想的で色を意識した詩を多く作り死後は「鬼才」と称せられました。好き嫌いの分かれる作風かもしれません。日本では、芥川龍之介がこの李賀のファンだったと言います。この詩は「桐風心を驚かし」で始まっていますが、前回も取り上げた「秋来ぬと 目にはさやかにみえねども風の音にぞ驚かれぬる」と同じですね。秋の訪れは、日本も中国も吹く風によって知り、秋が来たことで誰もがなんだか寂しくなるようです。絡緯はキリギリスの一種。寒素は白い布のことですが冷たい感じの月光を形容ています。青簡は書物のこと、花蟲は紙魚、本の虫ですね。

鮑家は六朝の詩人、鮑照のことを言っています。白、青、血の赤、碧玉の緑と色彩あふれるのも李賀の詩の特徴がよく表れています。私がユニークに思ったのは、「腸応に直なるべし」寂しいむなしい思いを腸が伸びて死んでしまうという部分です。断腸の思いというのは聞いたことがありますが、腸が伸びるという発想は確かに「天才」ではなく「鬼才」と呼ばれるのにふさわしいと思います。

By whenis , 29 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。唐の文化の爛熟期に生まれています。豪放に生き、酒が好きだったといわれているせいでしょうか、日本では「李白」と言う名前をつけたバーや酒屋さんも珍しくありません。今日紹介した作品は、李白が55歳の時のものです。たくさんの詩を残した李白は、友人を見送る詩も多く有ります。私は、この時期の「煙花三月 揚州に下る」の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」が好きです。だいたいは、李白が友人を見送る詩ですが、この詩は珍しく逆で、李白が見送られる側になっています。タイトルの王倫は、安徽省涇県(あんきしょうけいけん)の桃花潭の村人でしばしば李白に酒をもてなした人です。踏歌は、手をつないで足を踏みならしてうたう歌のこと。李白の出発に際して、村人たちも見送りに来たのでしょう。「桃花潭水」の桃花潭は、安徽省涇県にある渕の名です。実際は曲がりくねっていて、とても深さが千尺もあるようには見えませんが、そこは李白の詩の世界。千尺と言う言葉が、とてもふさわしく感じます。そもそもこれは、この渕の深さであり、二人の友情の深さです。この村で、李白は人気者だったのでしょうね。

By whenis , 28 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。もう、何度も登場していてお馴染みかと思います。今回の詩は、李白が尊敬する南朝の詩人、謝朓(しゃちょう)の「玉階怨」を意識して作ったものです。この謝朓は名門貴族の出身で、役職を歴任しましたが、王位をめぐる政争に巻きこまれて獄死しました。タイトルの「玉階怨」は後宮の宮女がなかなか来ない皇帝の訪れを待ち侘びる怨みを歌う楽曲の名前です。玉階の玉とは大理石のことですから大理石でできた階段。待ちくたびれて部屋から大理石の階段のところまで出てきたのでしょう。羅襪は絹の靴下です。夜ずっと外にいて下りた露で靴下も濡れてしまったようです。大理石の階段や絹という言葉から、豪華な宮殿にいる宮女であることがわかります。却下しては、下ろしてという意味です。簾も水晶と、やはり豪華です。玲瓏は玉のように光り輝くことです。水晶の簾越しの光と月の光、どちらも来ない人を待つ宮女の気持ちを反映してか、光なのに冷たい感じがします。そんな冷たい光の中、冴え渡る月をひとりぼんやりと見るということですね。大理石や絹、水晶と豪華なものに囲まれても一人ぼっちはさみしいもの。ましてや夏が終わってひんやりとした空気に包まれ始めた今頃は、尚更かもしれません。

By whenis , 27 4月, 2016

段子手(duàn zi shǒu)

「段子」はそもそも「相声(xiàng shēng)」中国の漫才の用語で、1つの作品の中の一節或いは一部を指す。今はその応用範囲が広くなって、中身も変わってきて「段子」はもともとの意味のほかに、ストーリーや笑い話の省略した言い方となっている。

「~手」は特殊な技能を持つ人、ある種の仕事に従事する人で、「段子手」は、つまり「段子」を書く人、書き手。「段子手」はほとんど「段子」を書くほかにも仕事があって、「段子」を書くのは作家になるための修行と考えている人もいる。

By whenis , 26 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並んで日本でもとてもよく知られています。この番組でも何作も紹介しました。それでも、いろいろ調べていくと次から次へと彼の作品が見つかります。情景が目に浮かび、気持ちも伝わってくるような詩が多いように感じます。今回の詩もそうではないでしょうか。李白が34、5歳の頃。洛陽に半年ほど滞在した時の春に作られたものです。玉笛は、文字通り玉でできた笛、つまり高級な笛です。洛城は牡丹の花で有名な洛陽のこと。折柳は折楊柳という別れの悲しみ寂しさを歌った曲のことです。柳の枝は弾力があって丸く輪のようにでき終わりがない=別れがない、しなって折れずに元に戻ることなどから、中国では昔、旅立つ人が無事に帰ってくることを祈って、柳の枝を輪にして贈ったといいます。故園は故郷のことで、故園の情とは故郷をなつかしく思う気持ちです。この作品は、故郷を遠く離れ洛陽にいた李白が夜、眠れないでいると、どこからか笛の音が聞こえてくる。その曲は別れの名曲。これを聞いて、故郷を思わない人がいるだろうか。と問われれば、いいえ、誰でも故郷のことを懐かしく思い出しますよ。と答えたくなりますよね。冬の間は、寒くて夜になると早々と布団にもぐりこんでしまいますが、いつまでも外が薄暗い春の夜は、外に出て笛を吹いたり、床につかずぼっとしていたり。現代の私たちにも充分共感できませんか。