By whenis , 9 2月, 2026

「尊老爱幼」に対応する日本語の成語や表現としては、「お年寄りを敬い、子供を慈しむ」や「老人を尊敬し、子供を愛します」などが挙げられます。また、同様の精神を表す四字熟語としては「敬老慈幼」があります。

「尊老爱幼」の中国語ピンインは「zūn lǎo ài yòu」です。

この成語の出典は『孟子』にあります。具体的には、「老吾老,以及人之老;幼吾幼,以及人之幼」という一節がその精神的な源流とされています。また、『孟子・告子下』には「敬老慈幼,无忘宾旅」との記述もあり、これが「尊老爱幼」の直接的な出典とされることもあります。この考え方は、自分の家族の老人や子供を敬い慈しむ気持ちを、社会全体の老人や子供へと広げるべきであるという、推己及人の教えを示しています。

以下に「尊老爱幼」の使用例を2つ挙げ、説明します。

「尊老爱幼は中華民族の伝統的美德である。」‌

この文は、「尊老爱幼」が中国社会において長く尊ばれてきた基本的な道徳であることを述べる、最も典型的な使い方です。

「彼はいつも尊老爱幼の心を持ち、バスでお年寄りに席を譲り、子供たちには優しく接する。」‌

By whenis , 8 2月, 2026

「承前启后」に対応する日本語の成句は「承前啓後(しょうぜんけいご)」です。

この成句の中国語での読み方は「chéng qián qǐ hòu」です。

「承前启后」の出典は、明代の朱国禎(しゅ こくてい)が著した『湧幢小品(ようどうしょうひん)』中の「曾有菴贈文(そうゆうあんぞうぶん)」という文章です。そこには「公承前草創,啓後規模,此之功德,垂之永久」とあり、これがこの成句の由来となっています。意味は、過去から受け継いだものを大切にし、それを発展させながら未来を切り開いていくことです。

以下に、この成句を用いた例文を2つ示します。

例文‌:彼らは承前啓後の役割を担い、伝統技術を未来へと繋いでいる。
説明‌:この文では、ある人々が「過去から受け継いだものを未来へ伝える」という重要な橋渡しの役割を果たしている様子を表しています。事業や技術の継承において、前の世代と後の世代をつなぐ立場を指す典型的な使い方です。

例文‌:この大会は、分野の発展において承前啓後、継往開来の重要な意義を持つ。
説明‌:この文では、ある会議や事業が「過去の成果を引き継ぎ、将来への道を開く」という重大な歴史的使命を帯びていることを強調しています。新たな段階を画するような節目の出来事を形容する際に用いられます。

By whenis , 6 2月, 2026

「先苦后甜」の日本語における対応する成語や表現としては、「先苦后甜」の概念に近い「先憂後楽(せんゆうこうらく)」が挙げられます。これは、優れた為政者や指導者が、民衆に先立って国事を憂え、民衆が楽しんだ後に自分が楽しむという、苦労を先にして後に安楽を得るという教えを表す四字熟語です。また、より日常的な諺としては、「苦あれば楽あり」や「艱難汝を玉にす」などが同様のニュアンスを持ちます。さらに、具体的な行動指針として「川越して宿を取れ(かわこして やどをとれ)」という諺もあり、これは困難なことを先に済ませておけば後が楽になるという「先苦后甜」の考え方を示しています。

「先苦后甜」の中文拼音は「xiān kǔ hòu tián」です。

この成語の出典は、現代中国の作家・王朔の小説『我是你爸爸』であるとされています。古典的な故事に由来するものではなく、比較的新しい成語です。その意味は、まず苦難を経験し、その後で幸福な日々を送ることを指します。

以下に2つの例文とその説明を提示します。

By whenis , 3 2月, 2026

「万水千山」に対応する日本語の成語または表現は「千山万水(せんざんばんすい)」です。この四字熟語は、山また山、川また川という意味で、道のりが遠くて険しいことを形容します。

中国語の拼音は「wàn shuǐ qiān shān」です。

この成語の出典と典故については、主に二つの説があります。一つは唐代の詩人、賈島の『送耿処士』という詩で、「万水千山路、孤舟幾月程」という句が由来とされています。もう一つは、宋代の徽宗皇帝の詞『燕山亭・見杏花作』にある「天遥地遠、万水千山、知他故宮何処」という一節が挙げられます。いずれも、はるか遠く隔たった場所や、多くの山河という困難な道のりを表現するものです。

以下に、「万水千山」を用いた2つの例文とその説明を提示します。

例文‌: 紅軍不怕遠征難、万水千山只等閑。
説明‌: この句は毛沢東の『長征』という詩からの引用です。ここでの「万水千山」は、文字通り多くの山河という物理的な困難を指すと同時に、長征という歴史的大移動において兵士たちが直面したあらゆる艱難辛苦の象徴として用いられています。困難をものともしない革命精神を強調する表現です。

By whenis , 2 2月, 2026

“談古論今”の対応する日本語の成語または表現は「古今東西(ここんとうざい)」です。これは、古から現代まで、東洋から西洋までの事象について広く語ることを意味し、「談古論今」と同様に、時間と空間を越えて多様な話題を論じる様子を表します。もう一つの類似表現として「縦横無尽(じゅうおうむじん)」もあり、話題が非常に広範で、自由自在に展開されることを強調します。

談古論今‌の中国語の拼音は ‌tán gǔ lùn jīn‌ です。

この成語の出典は、元代の張可久(ちょう かきゅう)が創作した散曲『端正好・漁楽(たんせんこう・ぎょらく)』にあります。原文中の一節「人間開口笑樵漁、会談今論古(にんげん かいこう しょう しょうぎょ、えだんきんろんこ)」がその起源とされており、漁師や樵夫(きこり)たちが自由に笑い合いながら、古今の出来事を語り合う様子を描いています。この表現は後に「談古論今」として定着し、広く使われるようになりました。

以下に「談古論今」の使用例を2つ紹介します:

By whenis , 1 2月, 2026

「大智若愚」に対応する日本語の成語または表現は「大知は愚の如し」です。この成語の中国語ピンインは「dà zhì ruò yú」と読みます。

この成語の出典は、宋代の文学者・蘇軾(蘇東坡)の『賀歐陽少師致仕啓』という文章にあります。原文では「大勇若怯、大智如愚」と記されており、これが後世に「大智若愚」という成語として定着しました。その思想の源流はさらに古く、老子の『道徳経』第四十五章にある「大巧若拙」(非常に巧みなものは、一見拙く見える)という思想に通じるものがあります。

「大智若愚」の意味は、本当に知恵が深く優れた人物は、浅はかな小利口さを振り回さず、一見すると愚か者のように見えることを指します^。これは、内に優れた才知や徳を持ちながら、外にはそれを誇示しない謙虚で深遠な人格を表す言葉です^。

例文‌: おじいさんは普段あまり話さないが、みんなが迷っている時にはいつも知恵に満ちた指針を与えてくれる。まさに大智若愚だ。
説明‌: この文は、表面では目立たず控えめに見える人物が、実際には重要な局面で深い洞察力と指導力を発揮する様子を描いています。外見の「愚」と内面の「大智」の対比がよく表れています。

By whenis , 30 1月, 2026

「早出晚帰」は、中国語の成語「早出晚归」に対応する日本語の表現です。この成語の中国語拼音は「zǎo chū wǎn guī」です。

この成語の出典は『戦国策・斉策六』にあり、「女朝出而晚来,则吾倚门而望」(お前が朝早く出て夜遅く帰ってくるなら、私は門によりかかって待っている)という一節が由来とされています。この故事は、親が外出した子供の帰りを心配して待つ心情を表しており、後に「朝早く出かけて夜遅く帰る」という、一日中外で忙しく働く様子を形容する成語として使われるようになりました。

以下に2つの例文とその説明を示します。

例文‌: 彼は弟の学費を稼ぐために、毎日早出晚帰して、苦労をいとわずに懸命に働いている。
説明‌: この文は、兄弟の学費を稼ぐという目的のために、主人公が非常に勤勉で、朝早くから夜遅くまで働き続けている様子を描写しています。成語の「一日中外出して忙しい」という核心的な意味をよく体現しており、労苦を惜しまない精神を強調しています。

By whenis , 28 1月, 2026

「翻来覆去」に相当する日本語の成句または表現は「寝返りを打つ」や「寝つかれない」などが挙げられますが、特に「寝返りを打つ」は身体を繰り返しひっくり返す様子を表す点で近いと言えます。 また、状況によっては「繰り返し」や「何度も」という意味で訳されることもあります。

この成語の中国語ピンインは「fān lái fù qù」です。 読み方には「番来覆去」という異表記も存在します。

成語の出典は南宋の儒学者・朱熹による『朱子大全』であり、そこでは「横説也如此,竖説也如此,翻来覆去説都如此」と記述されています。 典故としては、もともと寝床で身体を何度も返して眠れない様子を指していましたが、後に物事が何度も繰り返される意味にも転じました。

以下に2つの例文とその説明を示します。

彼は昨夜、一晩中寝返りを打って、どうしても眠れなかった。‌
説明: ここでの「翻来覆去」は文字通りの「身体をひっくり返す」動作を指し、不眠の状態を描写しています。

先生は翻来覆去同じ問題を説明した。‌
説明: この文では、「繰り返し何度も」という意味で用いられ、同じ内容が反復して説明される様子を表しています。

By whenis , 27 1月, 2026

「棄暗投明」に対応する日本語の成句または表現は「暗を棄てて明に投ず」です。この成句は、暗黒な勢力や誤った道を捨てて、光明ある正しい側に身を投じることを意味します。

中国語の拼音は「qì àn tóu míng」です。

この成語の出典は、元代の戯曲作家・尚仲賢による『単鞭奪槊』の楔子にある「高鳥相良木而栖、賢臣択明主而佐。背暗投明、古之常理」という一節です。ここでは、優れた鳥が良い木を選んで棲み、賢い臣下が明君を選んで仕えるように、暗黒を背にして光明に投じることは古来の道理であると説かれています。

以下に2つの例文とその説明を提示します。

例文1

「彼は長年務めた組織の不正に耐えかね、ついに暗を棄てて明に投じ、内部告発者となった。」
この文では、個人がそれまで属していた悪しき環境(暗)を離れ、正義を貫く行動(明)を選択したことを「暗を棄てて明に投ず」という表現で描写しています。

例文2

「歴史的に見れば、多くの軍人が大義のために敵側から我が方へと寝返る、いわゆる『暗を棄てて明に投ず』行為は、戦局を変えることもあった。」
この例文では、政治的・軍事的な文脈において、非道義的な陣営から正義の陣営へと転向する歴史的な事例を、この成句を用いて説明しています。

By whenis , 25 1月, 2026

「舍近求远」に対応する日本語の成語・表現は「近きを捨てて遠きにつく」、または「回り道をする」と訳されます。

この成語の中国語拼音は「shě jìn qiú yuǎn」です。

「舍近求远」の出典と典故については、戦国時代の文献『孔叢子・論勢』に「斉、楚遠くして恃み難く、秦、魏呼吸して至る。近きを捨てて遠きを求むるは、是れ虚名を以て自ら累し、免れずして近敵の困に不免る所以なり」との記述があり、近くのものを捨てて遠くのものを求める非効率さを説いています。また、孟子の思想にも通じ、「道は迎(近)くに在りて諸(これ)を遠くに求む」と批判されるような、本来身近にある道理や解決策を無視して遠回りする行為を指しています。

以下に、この成語の使用例を2つ挙げます。

例文‌: 彼は家のすぐ前にあるスーパーを利用せず、わざわざ車で30分かけて町の反対側まで買い物に行くとは、まったくの「舍近求远(近きを捨てて遠きにつく)」だ。
説明‌: この文では、利用可能な最も近くて便利な選択肢(家の前のスーパー)を無視し、不必要に時間と労力をかけて遠くの店に行く非合理的な行動を批判する際に「舍近求远」が用いられています。