1928年、日本に亡命。1930年、帰国したあと、上海で左翼作家連盟に加入しました。1933年に代表作『子夜』(真夜中)を発表しました。長編小説《子夜》(真夜中)の発表は茅盾の文学創作が新しい段階を迎えたことを意味します。また、この小説はわが国の近代的文学史上、傑出したリアリズム文学だとされています。この時期、彼は短篇小説の代表作、《林家舗子》や《春蚕》などを発表しました。
抗日戦争中は、香港・ウルムチ・延安・重慶・桂林等を転々。1941年『霜葉は二月の花に似て紅なり』を発表。
1949年中華人民共和国建国後、文化部長、作家協会主席、『人民文学』初代編集長を務めました。1965年部長職を退き、文化大革命中は蟄居。1981年北京で病死しました。
1920年、『小説月報』の編集を引き継ぎ、西欧近代文学の翻訳に尽力。また、鄭振鐸ら12人と共に、北京で「文学研究会」を創設し、リアリズム文学を書くよう提唱しました。1921年、「小説月報」の編集長となり、文学創作は現実な人生を描くべきだと主張しました。