中国民主の父と慕われる孫文の夫人が宋慶齢です。夫人が1981年に亡くなるまでの住まいが、「宋慶齢故居」として、記念館になっています。場所は北京の后海、その北岸に故居はあります。もとはといえば、溥儀の父親にあたる清朝の宣統帝の住まいだっただけに、敷地は広く、庭あり、池あり、休息所ありとゆったりと作られています。
この中にある二階建ての主楼と呼ばれる建物が、宋慶齢の仕事の場であり、生活の場でした。事務室、来客をもてなす大広間、食堂、寝室などがそのまま残され、ゆかりの品々が展示されています。宋慶齢は1893年上海生まれ。1915年に日本で活動中だった孫文と結婚します。このときの結婚誓約書がありました。保証人は日本の友人でした。
三民主義を唱えた孫文は1925年に北京で亡くなりましたが、その遺志を継ぎ、民族団結と抗日、反ファシストを訴え続けました。いま、ここには1万2000点近くが収められています。宋慶齢がここに住むようになったいきさつについて、宋慶齢基金会の何大章副主任が語ってくれました。