By whenis , 19 6月, 2018

元、明、清と三代にわたって北京の人たちに時を告げつづけた場所、それが鐘楼と鼓楼でした。鐘はゴーンという鐘、鼓はドン、ドン、ドンという太鼓です。今回の博物館めぐりは、この北京鐘鼓楼文物保管所、故宮の北、北海公園に近いところに建つ鐘鼓楼です。

 明の時代、1420年に建てられたといいますが、火災などもあり、今、お目にかかれるのは、1749年、清の時代に改築されたものです。

 鼓楼には一つの大太鼓と24の小太鼓がありました。昔、中国では、2時間をひとくくりにして「更」と呼びました。水時計が正確な「更」を告げると、これを聞いた太鼓の打ち手25人が、リーダーの指示のもとで太鼓をたたくのです。そして、鐘がつかれます。太鼓と鐘、合わせて108回、これら「更夫」と呼ばれる人たちで、市民に時間が伝えられたのです。複製品ですが、水時計も鼓楼には残っており、30分に1回で、太鼓の実演を見ることもできます。

 太鼓と鐘の音は、いまの前門あたりまで伝わったといいますから、まさに都のシンボルだったのでしょう。ところで「更夫」さんたち、うっかりして太鼓をたたくのを忘れたりしなかったのでしょうか。文物保管所の朱英麗さんに聞いてみたら、「記録にそんなことが残っていませんが、みんな大きな使命感を持っていたはずですよ」とのことでした。

By whenis , 18 6月, 2018

北京には4つのお城の名前がつけられています。中心となるのは紫禁城、つまり故宮です。それを囲むようにして、皇城と呼ばれる地域があります。北の地安門、東の東安門、南の中華門、西の西安門に囲まれた一画です。その外側、いまで言えば北京をぐるりと回る地下鉄2号線に囲まれた部分が内城、そして前門から南の一帯が庶民が住んでいた外城です。もちろん、いまは地名として残っているものの、門そのものはほとんどが取り壊されています。

 さて、その皇城の全景をめぐり合えるのが、その名も北京皇城芸術館です。中に入ると、18世紀の清の時代の皇城が500分の1の模型で作られています。故宮の屋根はいまと同じ黄色、故宮を取り囲むように大、小の住居が並んでいます。故宮に仕える職員の住まいもあれば、医師や衣裳を作る専門家の家、或いは食糧の貯蔵庫なども並んでいます。故宮の広さは南北に2790メートル、東西に2300メートルというのも、この模型で分かりました。

 この皇城芸術館は、故宮の東側にあります。故宮から長安街を東の方向、つまり北京飯店や王府井の方向に歩き出すと、高い赤い色の塀があります。この中は、菖蒲河公園といって、水が流れる散策路になっています。この公園の中にあるのが皇城芸術館です。

By whenis , 17 6月, 2018

自来水。何のことだか分かりますか。自分からやってくる水、水道水のことを中国ではこう呼びます。今週はこの水道にからむ博物館、北京自来水博物館を訪ねてみましょう。

 北京市内の水道水の供給は、北京市自来水集団、いわば民間の会社が受け持っています。北京市内には10カ所、郊外には8カ所の給水所があり、このうち東直門にある給水所が最も古く、ここが博物館にもなっています。

 歴史はとても新しく、展示コーナーを整えたのが2000年、一般公開が始まったのは2002年です。はじめは北京市自来水集団の従業員教育や企業宣伝の色合いが強かったそうです。本館部分の建物はドイツ人の設計によるもので、これに中国の伝統建築の手法を取り入れています。

 さて、水道の歴史は紀元前1000年、古代オリエントからギリシャ時代にさかのぼるそうです。ただ、このころは一般家庭向けではなく、浴場など公共施設向けの給水でした。16世紀末から17世紀にかけ、ロンドンやパリで普及し、アジアに入ってきたのはそのまたずっと後でした。北京では1908年、清の末期に水道事業が始まりました。それまでは井戸水が一般的でしたから、庶民は水道水のことを「洋水」と呼んだそうです。

By whenis , 16 6月, 2018

北京の北海公園の北側は、四合院といわれる建物がひしめきあい、胡同の小道が入り組んでいるところです。四合院は庭を真ん中にして、東西南北に四つの部屋があり、日差しのいい東向きと南向きの部屋は、そこの主人とお客様用に使われた、中国北方の伝統ある建築様式です。

 急速に近代化が進む北京は、あちこち高層マンションだらけ。市民の方は生活は便利になり、快適な居住環境に喜んでいますが、観光でやってくる外国人は、古い北京、「老北京」の風情を懐かしんでいます。そして、いまや「胡同めぐり」が大人気で、人力三輪車で回るツアーでにぎわっています。

 郭沫若記念館は、まさにこの一角にあります。郭沫若氏は、四川省の生まれ。文学者、歴史学者、社会活動家として、近代中国史上、著名な文化人の一人です。1928年から10年間の日本留学経験もあります。本名は郭開貞ですが、「沫」と「若」は故郷の川の流れを懐かしんで、なんと日本時代につけたペンネームだったそうです。

By whenis , 15 6月, 2018

北京には「壇」と名付けられたところがたくさんあります。天壇公園、日壇公園などは、いまでもたくさんの観光客を引きつけています。「壇」とは、皇帝が祠りごと、祭司をつかさどる場所でした。政治の安定を願い、その年の豊作を祈る特別のところでした。

 21世紀になって、新しく北京に「中華世紀壇」が作られました。「中華世紀壇・世界芸術館」と名付けられたこの施設を、今回は訪ねてみましょう。

 地下鉄1号線、軍事博物館の北側ですから、とても分かりやすいところにあります。大きな日時計が見えてきました。円形の「壇」は階段式になっていて、何やら儀式を行うにはふさわしいようです。しかし、博物館はどこにあるのでしょう。壇の周りを一周して、やっと「世界芸術館」の入り口にたどりつきました。どうして、こんな施設ができたのでしょう。 

 広報責任者の石京生さんによりますと、世紀壇は21世紀を迎えるために作られたそうです。新世紀に向けてのカウントダウンもここで行われました。展覧ホールはこれといったテーマはなく、2006年に世界芸術館と名付けられたのです。

By whenis , 12 6月, 2018

北京から南へ飛行機で1時間半。江蘇省の省都・南京は歴史のある古い町です。北京、西安、洛陽とともに中国四大古都の一つに数えられ、明の時代まで10の王朝がここに都を構えました。そして、中華民国臨時政府の首都もここ南京でした。その町に、中国でも由緒ある博物館、南京博物院があります。今日は、ここを訪ねてみましょう。

 その前に、南京のことを少し詳しく紹介します。明代に南京には城壁が作られ、今なお中心部に面影を留めています。日本などの協力で、修復作業も進んでいます。これに囲まれた地域が旧市街で、南京駅前に広がる玄武湖公園は市民のオアシスです。しかし、経済の発展とともに地下鉄も開通、空港は中心部から車で50分もかかるなど、市域は広がる一方です。 

 市民ばかりでなく全国からの来訪者が絶えないのが、市の東側にある中国革命の父、孫文のお墓・中山陵です。孫文は今年、生誕150周年で、さまざまな催しが行われました。孫文は、中国では孫中山の名で親しまれ、中山陵はお墓というより、紫金山という山の中腹にある大きな公園の感じです。

By whenis , 11 6月, 2018

中国の発展というと、経済、政治面に目がいきがちですが、昨年「神舟6号」という有人宇宙船の打ち上げに成功した例に見られるように、科学技術の面でも著しいものがあります。そこで、今回の博物館めぐりは、中国科学技術館を訪ね、その一端を見てみたいと思います。

 いま、国内には、最近オープンした四川科学技術館を含め、30を超える科学技術館があります。2000年に開館した上海科学技術館が規模としては最大です。ほかに、科学知識の普及を目指した博物館が260館。   

 そうした中で、北京にある中国科学技術館は国内の第一級のものだと朱幼文研究員は紹介してくれました。建築面積は4万3000平方メートル、1988年に工事が始まり、2000年から一般公開が始まりました。A館、B館、C館と3つの大きな建物があり、A館は主要展示ホール、B館はスクリーンを備えた映像館、そしてC館は3歳から10歳までの児童を対象にした施設となっています。   

 多くの指導者がここを訪れています。館の看板はとう小平氏、A館の入り口では「科学の精神を高めよう、科学知識を普及させよう」という江沢民前国家主席の自筆の呼びかけが、目を引きます。

By whenis , 9 6月, 2018

梅蘭芳(メイ・ランファン)。京劇の役者として、この人ほど日本人になじみのある人はいないと思います。いや、日本ばかりでなく、アメリカやヨーロッパでも広く知られ、「文化大使」の名前さえついています。この人を記念する、梅蘭芳記念館は、北京の中心部、北海公園から北西に2キロほど離れた徳勝門内大街にあります。

 こじんまりとした四合院の建物です。梅蘭芳は1984年、北京の前門近くで、やはり京劇役者の子として生まれました。祖父もやはり役者でしたから、なるべくして京劇の道を歩んだといえます。梅蘭芳はこの場所に1949年から、亡くなる1961年まで住み続けました。四合院の庭が気に入り、内外から多くの訪問客を迎えたそうです。

By whenis , 7 6月, 2018

中国地質博物館は、1916年に最初の基礎ができ、今年7月で90周年を迎えます。中国に数ある博物館の中でも、伝統ある自然博物館です。北京の西四にあり、近くには、広済寺、歴代帝王廟、白塔寺などがあり、とても分かりやすい場所です。

 建物は7階建てですが、このうち1ー4階の4500平方メートルが展示スペースで、20万点を超す収蔵品のうち、1割ほどがショーケースに並んでいるとのことです。1階は地球ホール。直径3メートルもあろうかと思われる地球儀がどんと置いてあります。地球の成り立ちや火山、地震についての解説やパネル展示があり、いわば学習コーナーともいえます。   

 2階にあがると鉱物、岩石の展示ホールです。世界最大といわれる水晶の玉、これは重さが3.5トンもあります。それに、蛍石や方解石の結晶など中国を代表する鉱物標本が並びます。中国のお土産に「玉(ぎょく)」の工芸品がありますが、その原石がこういったものなのでしょう。孔雀石というのも見つけました。孔雀が羽を広げたときのように、赤や緑の鉱物が岩石に自然な形で散りばめられています。

By whenis , 6 6月, 2018

中国は多民族国家です。13億といわれる全人口のうち、圧倒的に多いのは漢族です。納西族、苗族、タイ族、回族、満族、朝鮮族……。みなさんは、どのくらいの民族の名前を覚えているでしょうか。全中国には56の民族が暮らしているそうです。これらの民族の歴史や生活に触れることができる場所が北京にあります。中華民族博物院、別の名を中華民族園といいます。「民族」を主眼にした博物館の役割に、散策が楽しめる公園部分からなっています。

 天安門広場の真北、国家オリンピック公園地区に、中華民族博物院はあります。1992年に竣工した北園、97年に竣工した南園、合わせて40万平方メートルという、とてつもない広さです。ここに、約40民族の居住区が再現されています。

 案内してくれたのは張沢菊さんという摩梭族のお嬢さんです。雲南省の麗江に多く住み、納西族の仲間だそうです。

 張さんによれば、1600万人いる壮族のような大民族もいれば、数千人という文字通りの少数民族もいます。最も少ないのは、チベット自治区に住む珞巴族で2905人だそうです。ここには自民族の文化や伝統の紹介のために、各地からの少数民族が交代でやって来て、1年で三分の一は入れ替るそうです。張さんは、北京での仕事に誇りを持っています。