By whenis , 4 4月, 2018

色々な事情で大学に入れなかった人や、現在の学歴を更にレベルアップしたいと考える人のために用意された選択肢です。

 この制度には、自らの学歴を前回紹介した「大专」から「本科」へ進むための「专升本」、高校から「本科」へアップグレードするための「高起本」、そして、高校から「高职」あるいは「高专」へ進むためのもの(略称は共に「高职」「高专」)という三種類の道が用意されています。

 中国の社会人教育には①全日制(普通に授業を受けに通学するもの)、②定時制(夜や休日に授業を行うもの)、③一部通信制(普段の授業は通信で行い、休日などに集中講義を受けるもの)、④完全通信制と4つの形式があり、それぞれの事情や目標によって、授業を受ける年数も異なります。 日本の社会人教育の市場では大学院教育が盛り上がりつつありますが、中国の大学院では①②の形式が主であり、まだ通信制やネット教育は進んでおらず、②定時制も学歴市場では一段低い評価を受けますし、海外の学校のネットスクールなども広くは認められていない状態です。生涯教育の概念は普及していますが、まだ「一本」の天下が続きそうです。

By whenis , 1 4月, 2018

今から15年前の2003年から、教育部は「自主招生」を推進するようになりました。「自主招生」で学生を募集する大学はほとんどが名門大学で、そうした大学に入ろうと考える学生は、統一試験を受験するのではなく、まず大学のホームページから出願することになります。

 そこで学校側の設けた条件に符合する学生には、筆記試験と面接の受験機会が与えられます。そして、その試験の成績が優秀であれば、その場で合格が言い渡されたり、統一試験で一定の点数を取れば真っ先に合格通知を出しますよ、という契約をしたりします。

 この方式で出願するには、原則として高校の推薦が必要となりますが、自分が志望する大学の条件を満たせるだろうと思う学生は自己推薦の形でも出願できます。高校での成績や特技、授業の成績以外にも文学、芸術、スポーツ、発明、社会活動などで優れた能力があるなど、大学側が一芸を持っていると判断できる何かを有することが条件になります。

By whenis , 31 3月, 2018

北京の伝統芸能に京劇があります。きらびやかな衣装、ドラも加わった音楽。言葉が分からなくても、十分に楽しむことができます。北京の劇場で観覧可能ですが、短い日程で北京ツアーにやってきた人は、切符の入手や問い合わせが面倒なため、尻込みする人も多いようです。

 そんな人にうってつけの場所、北京戯曲博物館を紹介します。京劇を毎日上演している常設劇場ともいえます。宣武門のあった南の地区、つまり宣南地区が庶民文化の発祥の地、と紹介したことがあります。京劇は清の時代に始まったもので、最盛期の北京には20を超える劇場があり、そのほとんどが宣南地区に集中していました。  

 その宣南には、全国各地から文化人や商人が集まってきました。そして、宿泊したり情報交換のための場所、日本流にいえば県人会の寮のような施設が次々と建てられました。

 そのひとつに湖広会館というのがありました。1807年に建てられたもので、湖北省と湖南省出身者が寄り添う場所になりました。新中国の成立後は一般の住宅や事務所として使われてきましたが、10年ほど前、改修を加え、北京戯曲博物館として衣替えしたのです。  

By whenis , 30 3月, 2018

中国婦人児童博物館は、中国初の「婦人と児童」をテーマにした国家レベルの博物館です。婦人と児童事業の発展を促進するため、2006年3月25日に定礎式が行われ、2010年1月10日に一般オープンとなりました。全館の敷地面積は約3万5000平方メートルで、3万点余りの文化財が収蔵されています。展示は「婦人」と「児童」を2大テーマとして、5つのテーマエリアに分かれて陳列され、中国の各時代の婦人と児童の生活状況や地位の変化、文化、風俗習慣、歴史的人物および彼らの社会への貢献などを表しています。これは5000年の歴史にわたる経済や政治、軍事、文化、教育、科学技術、衛生、スポーツなどの分野での婦人と児童の社会や家庭の生活絵巻でもあります。

 この中国婦人児童博物館は、中国航空工業規劃設計研究院、中国建築設計研究院、巴馬丹拿(Palmer&Turner Group)が共同で設計しました。外観は優美な流線型で、女性の美しさが表現され、現代感覚に融合したオシャレ感を持つ、デザイン性の高い建築に仕上げられています。建物は地上6階、地下4階からなる鉄筋コンクリート造りで、1階は臨時展示ホール、2階と3階は児童館、4階から6階までは婦人館になっています。

By whenis , 29 3月, 2018

日本ではそろそろ新学期・新学年が始まりますね。中国では、新しい学年が9月から始まることから、日本のように桜を連想したりすることもなく、ちょっと雰囲気に欠けるところがあります。また、違いといえば、日本の大学は国立、県立、市立、私立などの違いがありますが、中国では大学のほとんどが国公立で、「民办大学」と呼ばれる私立大学は数えるほどしかありません。これは病院業界でも似通った現象があり、中日における病院の公立・私立における比率が逆転している点からも、同様の構図を看取することができます。

 中国の大学について話をすると、学校のクラスを表す一本、二本や、格付け用語の「985」、「211」など、日本人にはわけのわからない数字が頻出します。

 そこで、今回と次回は2回にわたって、この各種格付けを中心に、大学教育と関係のある言葉を一部ご紹介していきたいと思います。

【一本】(yīběn)[名]Aランク大学.

 大学の学部教育の中で、「高考」(「普通高等学校招生全国统一考试(一般大学入学全国統一試験)」)でもっとも早く合格判定と入学者の決定をする大学のことを指した言葉です。また、「一本」の学校は一般に合格ラインも比較的高めになります。

By whenis , 28 3月, 2018

「老舎記念館」の張文生さんの案内で、中の散策を続けましょう。正面の母屋は生活の拠点でしたが、両脇の部屋には、老舎の足跡や作品が並んでいます。老舎が苦労して学校を出たことは前回、お伝えしましたが、最初から小説を書いたわけではなく、北京や天津で教育の仕事に携わりました。1924年から5年間は、イギリスのロンドン大学東方学院に招かれ、中国語を教え、ひまを見つけては創作活動に取り組みました。

 1930年に中国に戻った老舎は、山東省の大学で教鞭をとり始めました。夫人と知り合ったのもこの時代。職業作家としてはじめて取り組んだ作品「駱駝祥子」もこのころのものです。この作品は日本でも翻訳、出版されており、映画も公開されました。舞台は旧社会の北京です。農村育ちで身寄りもない祥子が、北京に出てきて人力車夫になります。必死で働き、お金をため、底辺の生活から脱出を果たそうとする祥子。しかし、次々に襲ってくる悲惨な運命。人をけだもののように変えた旧社会を強く非難するメッセージを発した作品でした。

 張文生さんによりますと、老舎は生涯で900万字にのぼる作品を残したそうです。それがすべて、出版されているわけではありません。抗日戦争の多くの文芸作品を書き、新中国成立後は新劇作品にも取り組みました。いま、彼の作品は38カ国語に訳されているそうです。

By whenis , 26 3月, 2018

直訳すると、容器に水を入れて魚を飼うという意味ですが、これは最近、政府が企業の活性化を目指す税制改革を喩えるためによく用いられる表現です。

 第13期全人代第1回会議で発表された『政府活動報告』で、減税や税制改革に言及した部分はなんと18ヵ所もあります。これは歴代の政府活動報告の中でも史上最多を数えるものです。この政策は、主として製造業、交通運輸業、中小企業や零細企業と給与所得者の税負担を軽減することによって、実体経済のモデルチェンジとアップグレードを促し、更に起業を推奨して、国民生活を改善することを目指したものです。

 この報告が発表された頃、8000億元減税、という数字が最近のニュースの見出しに踊っていましたが、これだけの水(栄養)が注がれたら、魚も元気になるはずですね。他にも、今回の両会議期間中、国家税務総局(署)の王軍局長が取材陣に3枚の図を公開したのですが、そこにも、企業の利益増加の一部が減税によるものだということが如実に現れています。

 ネットの記事には、こんな評論のタイトルもあります。

By whenis , 24 3月, 2018

雇用者が被雇用者側に与えるべき社会保障待遇の総称で、中には養老保険、医療保険、失業保険、労災保険(工伤)、生育保険、そして住宅積立金が含まれます。

 日本の社保で考えると、医療保険(中国では医疗保险)、年金保険(中国では养老保险)、介護保険(中国では养老保险)、雇用保険(中国では失业保险)、労災保険(中国では工伤保险)がそれにあたります。中国の「生育保险」のカバー範囲は、日本だと健康保険や雇用保険がカバーしていることになります。

 「五险一金」にある養老保険、医療保険、失業保険と住宅積立金は、雇用者と被雇用者双方が、被雇用者の給与を基準とする一定の割合の金額を収めます。一方、労災保険と生育保険は雇用者負担になっています。また、2016年3月23日に公布された「第十三次五ヵ年計画要綱」では、生育保険を基本医療保険と合併すると明記されていますので、今後、これは「四险一金」という形にまとまることになるかもしれません。

 初期のくくり方では「三险一金」と呼ばれていましたが、2004年に労災保険、2006年に生育保険が実施されたことで、これらを合わせて「五险一金」と呼ぶことになったわけです。これを一部の地方や企業で現在もまだ「三险一金」と呼んでいるのは、労災保険と生育保険が全部雇用者負担だからです。

By whenis , 23 3月, 2018

「普惠金融」はインクルーシブ・ファイナンス(後述参照)、「事业部」の方は字面通り事業部の意味です。単語の順序を逆にした「金融普惠」は金融包摂、ファイナンシャル・インクルージョンの意味を表します。ここでは、「普惠金融事业部」として、銀行のインクルーシブ・ファイナンス業務を担当する部門を表します。

 この「普惠金融」インクルーシブ・ファイナンスは、国連が2005年に提起した概念で、金融サービス需要のある社会の各階層や人々に向けて、適切かつ必要とされるレベルでの金融サービスを低コストで提供するというもので、中小企業、零細企業、農家、都市部の低所得層などを主なターゲットにしています。

 この「金融普惠」の概念は、貧困を撲滅し、社会の公平の実現を目指す、つまりは貧困層の人々が経済的な疎外を受けることを無くそうというもので、単に金銭でケアするような活動とはまた違い、全員を巻き込みながら(インクルードしながら)、社会全体の発展を図ることを考えるというものです。そうした層にマネーを流すことで、貧困問題の解決を狙いつつ、更に全国の金融システム自体の活性化が図られることを狙った動きと考えることもできるでしょう。

By whenis , 21 3月, 2018

炎帝と黄帝、古代中国には伝説上の二人の有名な皇帝がいたそうです。民族の祖先です。この二人の名前を縮めて「炎黄」。仲間うちで、「やっぱり中国人だ」「中国人は一番さ」といったニュアンスの時に使われるようです。日本でいうなら「我こそは日本男児」というところでしょうか。先日、人民日報に中国国際人材交流基金が主催する「炎黄賞」の受賞者が決まった、という記事がありました。「炎黄」はいまの中国で脈々と生きているのです。

 今回の「博物館めぐり」は、炎黄芸術館を訪ねましょう。北京の北、第四環状道路の安慧橋からアジア大会選手村(亜運村)の方へ、北へ300メートルほど進んだところにあります。唐宋の時代の雰囲気を持つこぢんまりとした建物です。

 それもそのはず、この芸術館は人民芸術家といわれた画家・黄冑が個人で作り上げた美術館です。館長は夫人の鄭聞慧さんです。鄭さんによれば、最初は、「華夏」とか「東方」とかいろいろ候補にあがりましたが、本人の名前も黄、そして中国人に親しみを与える炎をとり、いまの名称になりました。

 さて、黄冑さんはどんな画家だったのでしょう。1925年河北省の生まれ。鄭さんや家族によると、ロバをはじめ動物の絵を好み、水墨画の技法で人物画を描くのを得意としました。五四運動で破壊された中国画の伝統を復活させた功労者でもあります。