By whenis , 5 10月, 2018

和平西橋、和平里北街、和平街北口などの名前は全てある会議に由来しています。1954年に和平里一帯に街道管理事務所が置かれることになりました。時を同じくしてアジア、太平洋地区の数十カ国が参加する「アジア太平洋地区和平会議」が北京で開催されており、管理事務所はこの会議の名前をとり、和平里街道管理事務所とされました。その後もこの一帯は開発がすすむにつれ、「和平」の二文字がよく使われるようになったのです。 

 もともとこの辺りは元大都城の北部で、今も遺跡が公園に姿を変え残っています。高校や北京化学工業大学、北京中医薬大学、北京服装学院、対外経済貿易大学など教育機関が集中し、まわりには小さな店が立ち並ぶ賑やかな場所でもあります。

観光スポット

 北京中医薬大学中医薬博物館(北京中医药大学中医药博物馆)

 1990年に建てられた博物館で又の名を「逸夫科学館」と言います。中国医学の歴史を紹介し、930件にも及ぶ医学関連文物を収蔵しています。また古代医学書籍が200冊以上、中国医学書が6000冊以上あります。鍼灸関連や少数民族の医療用具、白銅でつくられた外科用具などを見ることができます。

 アクセス:地下鉄B出口出て、三環路に沿って東へ500メートル進み、道を渡ってすぐ。

By whenis , 29 9月, 2018

この駅は地下鉄2号線の乗換駅です。出口を出ると、真っ先に目に飛び込んでくるのは赤い塀で囲まれた雍和宮です。雍和宮はチベット仏教の博物館とも呼ばれ、国内最高レベルのチベット仏教寺院です。寺ではなく「宮」と呼ばれていることは、ここが特別な地位にあることを示しています。牌坊と天王殿、雍和宮大殿、永佑殿、法輪殿、万福閣寺などの5つの壮大な大殿から成り、それらは全て塀で囲まれ、南から北へ向かってだんだんと小さくなっていくよう配置されています。高くそびえる屋根を持つ雍和宮は、漢族、満族、蒙古族、チベット族の特色を備えています。観光客ばかりでなく、長い線香を手に願かけをする市民の姿を見ることもできます。

観光スポット

地壇

 壇とは、古代に祭祀やその他の大きな行事を行うの用いた台のことで、ここは北京に5つある壇のうち、2番目に大きいものです。1530年に建設され、明と清の2つの朝廷の皇帝が祭祀を行った場所です。そして、中国に現存するうちで最も大きい壇でもあります。1925年に公園として一般開放され、1928年に現在の地壇公園と名前がつけられました。公園の中にはレストランもあり、のんびりと時間が過ごせる場所です。

By whenis , 25 9月, 2018

「北新橋」という名前にまつわる民間伝説が残っています。明朝が北京に都を置き、当時風水師であった劉伯温と姚広孝に都の設計が命じられました。設計された都市は八臂哪吒(はっぴなた)城と呼ばれました。つまり北京市は哪吒太子をかたどって設計したと言われているのです。これが北京市の雛形になりました。

 当時、北京には9つの「海眼」と呼ばれる湧き水が出来る場所が9つあり、それぞれが東海に通じていました。そのうちの8つは鎮められ、鎮守のための廟や塔がありましたが北新橋にあった海眼にはありませんでした。水を司る神、竜王が現れた時、劉伯温は1つの提案をしました。「わたしたちは都をつくっています。あなたが先に入城し、橋が古くなった時に再び現れてください」。竜王はしばらく考え海眼に飛び込みました。劉伯温は人々に「ここを北新橋と呼びさえすれば、永遠に古い橋とはならない。竜王が再び姿を現すことはない」と語ったということです。

 グルメ

 簋(グイ)街

 北京一の夜市と聞いて人々が真っ先に思い浮かべるのは東直門のグイ街と呼ばれるレストラン街です。「皆ザリガニ食べて、夜通しさわぐ」とは、ザリガニの辛味ソース和えが流行っていた時の街のにぎやかな様子を表したものです。

By whenis , 17 9月, 2018

張自忠路はもともとは鉄獅子胡同と呼ばれていました。明、清、民国、共和国の何百年かの時空を経た歴史的な胡同です。数多くの歴史的人物と深く関わっている場所でもあります。袁世凱、孫文、宋慶齢、郭沫若、老舎、毛沢東、周恩来、劉少奇など、わたしたちが良く知る人物たちの名が挙げられます。

 抗日戦争が終わり、1947年3月13日に現在の張自忠路に改名されました。

 観光スポット

 段祺瑞執政府跡(段祺瑞执政府旧址)

 まだここが鉄獅子胡同だった頃、段祺瑞執政府の住所は「1号」だったため略称で「鉄1号」と呼ばれていました。清代ここには、和新王府、貝勒斐蘇府、和敬公王府という3つの府が置かれていました。清末期に和新王府、貝勒斐蘇府の建物は撤去され、レンガと木造づくりの楼閣が再建されました。ヨーロッパの伝統建築様式が用いられました。1912年に袁世凱が中華民国臨時大統領に就いた時、総統府と国務院はここに置かれました。

 アクセス:地下鉄A出口出て、張自忠路に沿って西へ50メートル。

 

 和敬公主府(和敬公主府)

By whenis , 16 9月, 2018

昔からの北京っ子たちの間では、賑やかな繁華街を「東四西単鼓楼前(門)」と言っていました。現在の東四は元時代にはすでに商業地区として栄えていました。元大都城の成立後、この地は「旧枢密院角市」と呼ばれ、当時城内の三大商業地区の1つでした。明代永楽年に現在の東四十字路と向かい合う西四十字路にそれぞれ牌楼が作られました。この牌楼は、東西南北の四方に作られたため「四牌楼」と呼ばれました。清康煕年38年(1699年)に火災の被害に遭い、その後再建されましたが、1954年に撤去されました。

 観光スポット

 隆福寺通り(隆福寺街)

By whenis , 15 9月, 2018

灯市口駅(灯市口站)

 その名の通り灯市口の名前は京城の「灯市」に由来しています。「灯市」とは「元宵節(旧暦1月15日の伝統的な節句)」に使われる飾り提灯を売る市や提灯で飾られた街のことです。灯市はもともと五鳳楼(紫禁城の正門)に設置されていましたが、その後現在の東華門外の灯市口大街一帯に移りました。

 灯市が行われている間は、昼は市場、夜は明かりが掲げられました。道の両脇には飾りつけられた小屋が立ち並び、さまざまなデザインの飾り提灯が通りの端から端まで掲げられました。小屋の上に布を張り、酒を出す店もあり、当時の高官や身分の高い人々がこれらの店を貸切り、提灯の眺めを楽しみました。提灯のほかにも、音楽や雑技の出し物も催され、大変賑やかでした。

 清の時代になり、この当たりは旗人(清朝の八旗に属する人)の居住地となり、漢民族は全て前三門以外に移り、東華門外の灯市の城壁の外へと移されました。現在、残念ながら灯市は失われ、その名前のみが地名となって残っています。

 観光スポット

中華聖書会遺址(中华圣经会遗址)

By whenis , 14 9月, 2018

元代に大都城(元代の帝都)がつくられ、当時ここには文明門という門がありました。1419年に門は建てかえられましたが、その名は変わらず、1439年になって現在の崇文門に改名されました。

 清代の都のお酒はほとんどが河北の涿州から運ばれたもので、北京の南の通路が使われました。酒を運んできた車はまず外城の左安門から入り、崇文門で税金を納めました。当時、城内で売られていたお酒の看板には「南路焼酒」という文字が書かれていました。これは「納税済み」を示していました。

 そしてここには、まだ城壁が明城壁遺跡公園として残っており、かつての都の様子を伺い知ることができます。

 観光スポット

東交民巷(东交民巷)

By whenis , 12 9月, 2018

磁器口駅(磁漆口站)

 現在の磁器口駅がある場所は、明朝時代には「蒜市口南街」と呼ばれていました。後に、この通りには、「景徳軒」や「精品閣」という2つの大きな陶磁器店ができ、毎日多くの客が訪れるようになりました。やがて、その名が北京市内に広まり、清朝光緒年に磁器口と名が改められました。以来、この通りの両側には、陶磁器を扱う店が並ぶようになり、名実ともに「陶磁器通り」となりました。

 観光スポット

 花市清真寺

 明朝永楽年(1415年)に創建されたモスクで、北京にあるイスラム教4大モスクの1つです。現存する礼拝殿の中には2本の「孔雀の木」と呼ばれる横木があります。この木は独特な香りがあり、虫除けの効果があると言われています。

 アクセス:地下鉄A出口出て、道を渡り崇文門外大街に沿って北へ。

 西花市大街を右へ曲ってすぐ。

 南薬王廟(南药王庙)

By whenis , 11 9月, 2018

北京には「北苑」という駅が2つあります。1つは地下鉄13号線の「北苑」で、もう1つはこの通州北苑駅です。13号線の「北苑」は、もとは皇室の狩場があった場所です。もともと草が生い茂る森林で家畜の飼育が行われていましたが、後に皇族の狩場となりました。元、明、清の時代には北京の北の郊外が「北苑」と呼ばれていました。

 通州北苑の名前の由来は人々の習慣からきています。清時代にこの辺りを管理していた者が皇帝にならい、余暇を過ごすための庭園を造り、これが「北園」と呼ばれていました。「園」がいつしか同じ発音の「苑」に変化し、現在の名前となりました。

 観光スポット

 西海子公園(西海子公园)

By whenis , 27 8月, 2018

毎日の忙しい生活に疲れたら、13号線に乗ってみてください。西直門を出発し、車両はゆっくりと騒がしい中心地を離れてゆきます。地下鉄といっても、地上を走る部分が多い13号線は、北の郊外を走り抜け、車窓から山や川を見ることができます。ちょっとした小旅行気分が味わえる路線です。もともと13号線は「地下鉄」ではなく、都市鉄道と呼ばれていました。2002年に開通し、1号線と2号線の建設から22年を経てつくられた新しい路線でした。走行距離は40.85キロメートルで16駅設置されています。

西直門駅(西直门站)

 西直門は元時代は「和義門」と呼ばれていました。明の永楽時代に現在の名前となりました。明、清時代には北京から西部の山間部へ続く門で、北京に内城にあった9つの門の中でも規模が大きいものでした。さらにこの時代、北京の水質はあまり良いものではなく、宮廷用の水が毎日玉泉山から運ばれる際、必ず西直門を通るため「水門」とも呼ばれていました。1969年に地下鉄工事が始まり、城門や城壁にあった櫓は撤去されました。歴史ある西直門に昔の面影はありません。今は近代的なビルが立ち並び、都市発展を象徴しています。また2号線、4号線の乗り換え駅でもあり、西部の主要な交通の要衝にもなっています。