By whenis , 12 7月, 2018

北京で大鐘寺と言えば、多くの人がインテリア商業区や家具販売市場、アンティーク取引場を思い浮かべるかもしれません。大鐘寺そのものと境内にある国宝級の文物を連想する人は少なく、ここには古鐘博物館があることを知る人はさらに少ないでしょう。

 現在、駅周辺には中国政法大学、中央財経大学、首都体育学院などがあり、文化的な雰囲気が感じられます。

 観光スポット

 大鐘寺古鐘博物館(大钟寺古钟博物馆)

 大鐘寺はもともと覚生寺という名前でした。清代には重要視されていた寺院の1つで清代の文献によれば、北京には291箇所の寺院があり、このうち大鐘寺は万善殿や万寿寺に続くものでした。創建は1733年で雍正帝の命令で造られました。現在寺院の山門の上に掲げられている額は雍正帝が書いたものです。

 かつて寺院に残された文物は多くが失われましたが、博物館には永楽大鐘と鐘器が収蔵されています。もともとは寺院のものではありませんが、宋代のものもあります。最大で最古の鐘は永楽大鐘で、寺の名前はこの鐘に由来しています。

By whenis , 9 7月, 2018

西単は現在、若者に一番人気のエリアであり、昔から商業地区として栄えてきた場所です。周囲には高層ビルが林立し、人の流れも多く、北京で西単の名前を知らない人はいないぐらいですが、その名前の由来を知る人はあまりいません。

 元々ここには、牌楼と呼ばれる木で作られた屋根つきの門がありました。これが西単牌楼と名づけられ、人々には「西単」と呼ばれました。西単牌楼には、「眺雲」の二文字が、そして、対として東に作られた東単牌楼には、「就日」の二文字が掲げられました。これは「東に日の出を見、西に彩雲を見る」という意味です。1916年、袁世凱がこの二文字をそれぞれ「景星」と「慶雲」に改めたというエピソードも残っています。1954年に学者らの反対があったにも関わらず、道路拡張のため、撤去され、「西単」、「東単」の名前だけが残りました。

 北京オリンピックが開催された2008年に、西単文化広場に新たに西単牌楼が再建されました。

 観光スポット

 民族文化宮博物館

 1959年に、中国成立10周年記念の十大建築の一つとして建てられました。全国55民族の文物およそ5万件を収蔵しています。収蔵品の種類と量は国内の民族博物館の中でも群を抜いています。

By whenis , 6 7月, 2018

「老舎記念館」の張文生さんの案内で、中の散策を続けましょう。正面の母屋は生活の拠点でしたが、両脇の部屋には、老舎の足跡や作品が並んでいます。老舎が苦労して学校を出たことは前回、お伝えしましたが、最初から小説を書いたわけではなく、北京や天津で教育の仕事に携わりました。1924年から5年間は、イギリスのロンドン大学東方学院に招かれ、中国語を教え、ひまを見つけては創作活動に取り組みました。

 1930年に中国に戻った老舎は、山東省の大学で教鞭をとり始めました。夫人と知り合ったのもこの時代。職業作家としてはじめて取り組んだ作品「駱駝祥子」もこのころのものです。この作品は日本でも翻訳、出版されており、映画も公開されました。舞台は旧社会の北京です。農村育ちで身寄りもない祥子が、北京に出てきて人力車夫になります。必死で働き、お金をため、底辺の生活から脱出を果たそうとする祥子。しかし、次々に襲ってくる悲惨な運命。人をけだもののように変えた旧社会を強く非難するメッセージを発した作品でした。

 張文生さんによりますと、老舎は生涯で900万字にのぼる作品を残したそうです。それがすべて、出版されているわけではありません。抗日戦争の多くの文芸作品を書き、新中国成立後は新劇作品にも取り組みました。いま、彼の作品は38カ国語に訳されているそうです。

By whenis , 5 7月, 2018

地図を見ていたら、「文学館路」と名づけられた道が、北京にありました。その中央に「中国現代文学館」があるので、早速ここを訪ねてみることにしました。

「そうですよ。わが博物館にちなんで道路の名前がつけられたんです。こういう例はあまりないでしょう」と自慢げに迎えてくれたのは、副館長の李栄勝さんです。この博物館は2000年にオープンしたばかりで、まさに中国の現代文学を知るにはうってつけの場所です。  

 文学館の必要性については、著名な作家・巴金が1980年代から提唱していました。85年には万寿寺の中に看板を掲げ、少しずつ準備が進められてきました。この願いがかない、文学館の正門前には左右8メートル、高さ2メートル、重さはなんと50トンもある石碑が置かれ、巴金自筆の文字が刻まれています。  

「我々は文学の宝庫を持っている。それは中国の作家たちが後世に残した傑作である。それらの作品は我々を支え、育て、励ましてくれる。この世に生きている一人ひとりが、他人に対してもっと役に立つよう育ててくれる」といった意味です。

By whenis , 4 7月, 2018

故宮を見学するとき、その正門の午門から入って、北のほうの神武門から出るという一本道を取るのが一般的ですが。景山公園はつまり、出口を出てすぐの道の向こう側にある小さな公園です。景山はその中にある小高い山です。この丘は43メートルあり、そんなに高くないですが、頂上に建てられた万春亭からの眺めは抜群でよく知られています。そこで、故宮の全景を見下ろすことができるほか、周りの景色も一望でき、まさに北京一の展望台といえます。

 景山で見た故宮のパノラマ。言葉ではその感動さをうまく言い表せないほどです。梅原龍三郎が描いた「樹海の中の金色の甍(いらか)と赤い壁の楼閣の景観は世界無類潤オ」という紫禁城の展望は、景山公園よりのものでしょう。

 この山の東部では、明の時代の最後の皇帝が自殺したこともありますので、明の終結を意味する場所でもあります。町の向こう側に、明と清の繁栄を物語る宮殿の海、また、ラストエンペラーに出た広大な風景なのです。

 故宮は北京市の中心部に位置しており、南には天安門、北には景山、東には王府井、また、西には中南海という配置になります。ここは昔紫禁城と呼ばれ、明・清時代の帝王が居住する王宮であり、中国に現存する規模がもっとも大きく、もっとも完全な古代木造建築群です。1987年、「世界遺産リスト」に指定されました。

By whenis , 28 6月, 2018

切り絵、中国流にいえば剪紙となりますが、彫り物、陶磁器など中国の旅の帰りのお土産は豊富で多彩です。大量生産のものもありますが、手作業で一つ一つ丁寧に作られているものも多いようです。今回紹介する「北京京城百工坊」は、まさに民間芸術、伝統技術が凝縮した世界です。

 大型活動弁公室の王主任によりますと、京城百工坊は2003年11月に、古い工場の建物を再利用してオープンしました。工坊は、日本語では「工房」が当てはまるようです。北京に伝わる民間芸術、工芸品の師匠さんや職人さんが勢揃いしているというわけです。その中でも、中国工芸美術大師という肩書きを持つ人が、北京には100人ほどいるそうです。

 この建物の中は30室ほどに区切られています。早速、のぞいてみましょう。「葫芦坊」、瓢箪(ひょうたん)のことです。ひょうたんは、水や酒を飲むグラスとして使われたり、水をすくう生活の道具でした。乾燥した表面に絵を書き、飾り物として、珍しい民芸品になっています。この部屋には、たくさんのひょうたんがぶらさがっていました。

 「泥人形坊」。これは泥で作る人形や動物類の制作室です。京劇の役者の顔面を並べた人形もここで作られていました。

By whenis , 26 6月, 2018

北京のメインストリート・長安街。東西に走るこの道路と二環路(第2環状道路)が交差するところが建国門です。北京空港から高速道路で中心部に向かい、このあたりにたどり着くと、「北京にやってきた」という気分になるものです。一帯はホテルや高層ビルだらけですが、城壁のような古い建築物が唯一残っています。それが、今回紹介する「北京古観象台」、つまり、天文台です。ここに、王玉民博士を訪ね、足跡をたどってみます。

 門には、「観象台」のプレートが残っています。北京古観象台は世界でも歴史が古く、明代の1442年に作られたというから564年の時を刻んでいます。しかも1929年までは観測を続けていたといい、同じ地点で観測を続けた施設としては世界最古にあげられるそうです。当時のままの機材を保存、展示して博物館としての役割を果しているのもうなづけます。

 城壁のように見えたのが、実は観測台です。高さ14メートル、東西23.9メートル、南北20.4メートルに8基の天体観測器が並んでいます。明代に作られたころは「観星台」と呼ばれ、清代になって「観象台」、その後は、「国立天文陳列館」「北京天文館」などとも称され、1983年から一般広く公開されるようになりました。

By whenis , 25 6月, 2018

中国の発展というと、経済、政治面に目がいきがちですが、昨年「神舟6号」という有人宇宙船の打ち上げに成功した例に見られるように、科学技術の面でも著しいものがあります。そこで、今回の博物館めぐりは、中国科学技術館を訪ね、その一端を見てみたいと思います。

 いま、国内には、最近オープンした四川科学技術館を含め、30を超える科学技術館があります。2000年に開館した上海科学技術館が規模としては最大です。ほかに、科学知識の普及を目指した博物館が260館。

 そうした中で、北京にある中国科学技術館は国内の第一級のものだと朱幼文研究員は紹介してくれました。建築面積は4万3000平方メートル、1988年に工事が始まり、2000年から一般公開が始まりました。A館、B館、C館と3つの大きな建物があり、A館は主要展示ホール、B館はスクリーンを備えた映像館、そしてC館は3歳から10歳までの児童を対象にした施設となっています。

 多くの指導者がここを訪れています。館の看板はとう小平氏、A館の入り口では「科学の精神を高めよう、科学知識を普及させよう」という江沢民前国家主席の自筆の呼びかけが、目を引きます。

By whenis , 23 6月, 2018

地下鉄2号線の朝陽門で降り、東のほうへ歩き出すと、中国外務省の大きなビルが見えます。近代的なオフィスビルが多く、いつも人がせわしげに動いています。もう少し、東に足を向けてみましょう。右手に、時代から取り残されたような門柱が建っています。道路(朝陽門外大街)をはさんで反対側に、東岳廟というお寺があります。700年の歴史がある道教のお寺で、ここが今回紹介する北京民俗博物館です。

 北京でただ一つの民俗にしぼった博物館で、人々の暮らしぶりがよく伝わる博物館です。1999年に一般公開が始まったばかりですので、歴史はさほど長くありません。ただ旧正月のお祭り・廟会はずっと前から続いており、福を求める北京市民でごった返します。

 まず、お寺のほうに足を踏み入れてみましょう。76人の偉人の像が飾られています。一人一人にはお付きの人が10人ほどいて、そのうちの一人が、犬だったり、カエルだったりします。見ていて楽しくなります。本殿に通じる通路には、赤いお札がいっぱいぶら下がっています。旅の安全、商売繁盛、受験など8つの願い事がかなうそうで、自分の名前を記入して、くくりつけてあります。日本の神社で見られる絵馬とそっくりです。

By whenis , 22 6月, 2018

中国は多民族国家です。13億といわれる全人口のうち、圧倒的に多いのは漢族です。納西族、苗族、タイ族、回族、満族、朝鮮族……。みなさんは、どのくらいの民族の名前を覚えているでしょうか。全中国には56の民族が暮らしているそうです。これらの民族の歴史や生活に触れることができる場所が北京にあります。中華民族博物院、別の名を中華民族園といいます。「民族」を主眼にした博物館の役割に、散策が楽しめる公園部分からなっています。

 天安門広場の真北、国家オリンピック公園地区に、中華民族博物院はあります。1992年に竣工した北園、97年に竣工した南園、合わせて40万平方メートルという、とてつもない広さです。ここに、約40民族の居住区が再現されています。

 案内してくれたのは張沢菊さんという摩梭族のお嬢さんです。雲南省の麗江に多く住み、納西族の仲間だそうです。

 張さんによれば、1600万人いる壮族のような大民族もいれば、数千人という文字通りの少数民族もいます。最も少ないのは、チベット自治区に住む珞巴族で2905人だそうです。ここには自民族の文化や伝統の紹介のために、各地からの少数民族が交代でやって来て、1年で三分の一は入れ替るそうです。張さんは、北京での仕事に誇りを持っています。