皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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紀元前二七○○年頃までに遡る中国の茶

中国はお茶の故郷であり、お茶が人々の口に入ったのは、世界最古とされるお茶の神様『陸羽』の著書『茶経』では、紀元前二七○○年頃までに遡ります。また、神農が茶葉を使って病気を治した、という記述も残っています。

お茶は最初に飲用として使われたのではなく、食用、薬用、祭品として用いられていました。西漢の王褒によって記された『僮約』(紀元前59年に書かれた)にある、荼が茶の前身と言われており、中国茶が一般的な飲み物になったのは、約2000年前、ということになります。広く一般的に普及し始めたのは、唐代からで、宋代に更に盛んになり、明代で今日の基礎が出来上がったと言われています。

唐代のお茶は『団茶』中心でした。それまでは『煮茶法』と『泡茶法』が一般的でしたが、新たに『煎茶法』が陸羽によって考案されました。『煮茶法』は沸騰した湯に茶の粉末を入れたり、冷水に入れて一緒に煮る方法、『泡茶法』は餅茶を朱色になるまで炙り、それから砕き、釜に入れ水を出し、そして姜、葱や柑などを加えるものです。『煎茶法』は水を沸かしてから粉末を投入し、かき混ぜながら3度目の沸騰時に止める、というものです。

黄河文明:新石器時代の仰韶から殷・周の青銅器文化

黄河文明は黄河の中・下流域で栄えた古代文明で、新石器時代の仰韶(ヤンシャオ)文化から竜山(ロンシャン)文化をへて、殷・周の青銅器文化に発展していった。 1921年、スェーデンの地質学者・考古学者のアンダーソン(1874~1960)は河南省の仰韶村で彩文土器を発掘した。翌年の発掘によって竪穴住居跡が発見され、また多くの磨製石斧・彩陶などの土器が出土した。アンダーソンは周口店洞穴の発見者であり、北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)の発掘の端緒をつくった人物でもある。

 前5000年~前4000年頃から黄河の中・下流域の黄土地帯でおこったこの中国最初の農耕文化は最初に発見された遺跡にちなんで仰韶(ヤンシャオ)文化と呼ばれる。 1954年に発掘された西安の東にある半坡(はんぱ)村の集落遺跡は後期に属するが、仰韶文化の代表的な遺跡である。

 仰韶文化期の人々は粟・黍を栽培し、豚・犬を飼い、また鹿などの狩猟も行った。主として竪穴住居に住み、集落を形成し、石斧・石包丁などの磨製石器や彩陶を使用した。仰韶文化を代表する出土品は彩陶である。そのため仰韶文化は彩陶文化とも呼ばれる。彩陶は薄い赤色の地に赤・白・黒などの色を使用して文様が施されている素焼きの土器で甕・鉢・碗型のものが多く、焼成温度は約1000度位である。

中国伝統医学(東洋医学)と大自然の関係

中国では、古代から病因を様々な方法で分類してきました。とくによく使われていた病因の分類に、体外の原因である「外感」と体内の原因である「内傷」の2つに分類する方法があります。外感には六淫・疫痢・外傷・虫獣傷・寄生虫などが含まれ、内傷には精神素因の七情、生活素因である飲食と労逸、内生素因である痰飲と淤血、体質素因の偏虚・偏寒偏湿・偏燥偏熱などが含まれます。

漢方では病気の発生を、正気が邪気に負けたことによるとみています。ゆえに、正気を充実させ、邪気に負けないようにすることを非常に重視しているのです。正気とは、人体の機能活動(臓腑・経絡・気血水など)、自然治癒力などの生命力すべてを指し、略称を\"正\"といいます。邪気とは、生命力を阻害して、病気を引き起こす原因であり、\"邪\"と略されます。

外感 六気と六淫

書く芸術--中国の書道

「書道」は字を書く芸術です。文字のある民族なら「書道」もあると言いますが,字を書く書道は全部芸術になるとは言えません。中国漢字書道が独立な芸術になる原因はこれは「図画性」が強い象形表意文字として,独特な形体結構点、横、縦、釣、捺などの筆画と独特な書き道具毛筆があるからです。書き者の字形、筆画「美」に対する追求は書道を民族美感、主観意味を表現し,移情できる芸術です。

紀元713年で建設した世界最大の大仏――楽山大仏

峨寺で修業していた唐代の名僧海通は唐玄宗の開元元年(紀元713年)から大仏の建造をはじめ、90年をかけてこの世界最大の弥勒仏像を彫り上げた。大仏は山をひかえておごそかに鎮座し、高さ71メートル、頭の高さは14.7メートル、直径10メートル、一本の足だけで幅5.5メートル、長さ11メートルで、その上に百人ほどの人が座れる。

峨眉山は成都平原の西南にそびえ立ち、遠くからは少女の細長い眉毛のように見えるので、峨眉山と名づけられた。最も高い万仏頂は標高3099メートルもある。峨眉山の前山は岩石や谷間が多く、草や木に覆われ、滝も泉もそれぞれ姿が異なる。後山は絶壁がそびえ立ち、雲が湧き立ち、人々に畏怖を感じさせるものがある。伝説によると、普賢菩薩がここで姿を現わして説法をしたことがあるという。それゆえに、峨眉山は中国4大仏教の名山の一つとなったのである。いまでも山の中の報国寺、万年寺、仙峰寺、洗象池、金頂などの古い寺が10カ所ほど保存されており、仏教徒たちがこれらの寺で修業している。

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