中日成語・ことわざ

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中日成語・ことわざ

八斗之才(はっとのさい)

「八斗之才」。斗とは、中国古代の計量単位の一つです。八斗もの才能を持っている。非常に才能があるということです。

 斗の他に、石と書いて、コクと呼ぶ計量単位もあります。1石=10斗です。

 「八斗の才」の出典と言いますと、南北朝の時代の南朝、宋の有名な詩人、謝霊運にまつわる話です。

 謝霊運は名門貴族の出で、祖父の謝玄が東晋を北方異民族の侵入から救った英雄として名高い人です。謝霊運自身は南北朝時代を代表する詩人です。特に彼が書いた山水詩が有名です。「八斗之才」は、彼は三国時代の魏の曹植を褒めたときに使った言葉です。

 曹植は曹操の息子で、文学の才能が非常に高い人です。謝霊運は曹植の才能をほめて、「天下の詩の才の全体を一石とすると、八斗は曹植、一斗は自分、残りの一斗を他の詩人が受け持っている」と言いました。

 「八斗之才」はこんな故事から来ています。まあ、謝霊運は確かに曹植の才能を非常に評価して尊敬していますが、自分は一斗の才を持っている。しかし、天下の詩人は残りの一斗を分けている。ということを考えますと、謙遜しているような、自慢しているような、どっちか分からなくなってしまいますね。

八面玲瓏

日本語の「八」を含む四字熟語と言いますと、「八方美人」を思い出しますが。。。中国語にも「八方美人」と同じ意味の四字熟語もあります。「八面玲瓏」です。もともとの意味は窓が多いため、どこから見ても透き通っていることを表します。それから転じて、人との付き合い方は融通が効き、だれにでもやさしく接することを表します。

 人を形容するときに、一般的にマイナスな意味で使われます。日本語と全く同じです。ちなみに、「八面玲瓏」の出典と言いますと、マイナスな意味ではなく、いい意味でした。これは元の時代の詩人、馬熙(ばき)の詩「開窓看雨」(窓を開けて雨を見る)から来ています。詩の中では、"八面玲瓏多得月"、部屋の八方から美しい月が見えると詠んでいます。玲瓏とは玉の鳴る音、またそのような美しさという意味です。

 もともとの意味はとても美しいことですが、今は、「八方美人」というマイナスな意味となって、ちょっと残念です。

七擒七縦(しちきんしちしょう)

日本語では、二つの動詞の順番を変えて、「七縦七擒」と言いますが、諸葛孔明が南征した時に孟獲を7度捕らえ7度放したという故事から来た言葉です。

 「擒」はつかまえる、捕虜にすること、「縦」は逃がすことです。諸葛孔明は何故孟獲を7回捕まえて、また、7回放したのでしょうか。面倒くさくありませんか?その目的はなんでしょう。

 こんな故事がありますので、ご紹介しましょう。

 三国時代、蜀の丞相諸葛孔明が、軍を率いて出征し、南部少数民族の叛乱を鎮圧しました。しかし、イ族の首領孟獲は屈服せず、いつも蜀の軍隊を攻撃していました。諸葛孔明は孟獲がとても勇敢な人で、信義を重んじ、地元では人望を集めていると聞きましたので、こんな人を配下にしたいと思い、計略をめぐらせ孟獲を捕えました。

 孟獲は今度は自分が処刑されるかと覚悟しました。しかし、諸葛孔明は縄を解き、ご馳走を用意してもてなし、更に、蜀の軍の陣形を見せました。諸葛孔明は「この軍はいかがかな?」と訊ねました。孟獲は意地を張って、「今回は油断して失敗した。あなたたちの陣形を見せてもらったので、私を放してくれるなら、次回は、必ず負かしてやるぞ!」と訴えました。諸葛孔明は笑って、本当に孟獲を釈放し、また戦おうと約束しました。

六月飛雪

"六月飛雪"、冤罪という意味です。

 もちろん、この六月とは、旧暦の六月を指します。つまり、7月中旬か、8月の初めになりますね。一年中もっとも暑いころですが、何故が雪が降ってきました。

 珍しいことは珍しいですが、真夏にたまたま強い寒気団があって、広い中国のこと、こんな気象状況が発生したでしょうか。

 科学的に解釈すれば、そうかもしれませんが、中国では、この言葉は、元曲のの名作『竇娥冤(とうがえん)』から出たものです。

 そのあらすじをご紹介します。

 主人公の竇娥(とうが)は、主人に先立たれ未亡人となり、姑と暮らしていました。竇娥はならずものに言い寄られ、それを拒むと、ならずものは姑を殺害した上、その罪を竇娥にかぶせました。竇娥は死刑を宣告され、処刑前に最期の言葉を残しました。その内容は、もし冤罪であれば、処刑された彼女の血は旗に飛び移り、真夏に雪が降り、楚州に三年間干ばつが続くというものでした。そして、処刑後にこれらの言葉は現実となりました。

 その後、この地に竇娥の父が科挙官僚として赴任すると、亡霊になって現れ、竇娥の父に自分の冤罪を晴らすよう懇願しました。その結果、裁判がやり直され、真犯人が処刑されました。

六親不認

"六親不認"ですが、字面の意味は、六親を認めない。

 中国の歴史には、「六親」に関して、特定の内容があります。その代表的な言い方が三種類あります。『春秋左氏伝』によりますと、親子、兄弟、姉妹、甥と母方の兄弟、妻の親族及び夫の親族だということです。『老子』によると、父子、兄弟、夫婦が六親だということです。そして、『漢書』によりますと、父、母、兄、弟、妻、子を指しているということです。この3種類の言い方がありますが、そのうち、三番目の言い方、つまり、父、母、兄、弟、妻、子という言い方が最も一般的です。つまり、血筋と婚姻関係で最も関係の親しい人たちです。

 中国では昔から大家族が集まり棲むというのが非常に重んじられてきました。つまり、直系家族の他に、傍系や親族も同じ土地に一緒に暮らします。一緒に住むことによって、農業生産で助け合ったりすることができるのです。

 これは中国社会の特徴の一つといえるでしょう。家族関係を非常に重視しています。ですから、昔から、家族の子弟が出世すれば、"衣錦還郷"ふるさとに錦を飾ると言って、家族全員にとって、大きな名誉になります。もちろん、出世した人は、親族の面倒をみることになります。

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