中日成語・ことわざ

中日成語・ことわざ

By whenis , 28 5月, 2017

意味

 直訳すると、義として振り返って顧みることなし、つまり、道義上振り返ってためらうことができない、道義上後へは引けない意味になります。

 出典は漢の時代の司馬相如(しば しょうじょ)の文章です。

使い方

为什么年轻人义无反顾地跑去北上广?

By whenis , 30 4月, 2017

意味

 人に窮屈な靴を履かせる。つまり、(仕返しのために)人に意地悪をする、嫌がらせをする、人を困らせる、いじめるなどの意味になります。

 由来

 古代の中国では小さい足の女性が美しいとされ、足を小さくするため纏足(てんそく)の習慣がありました。結婚する前、男性は女性の顔を見ることができないので、足の大小で女性の美しさを判断していました。花婿側は足の大きさを確認するために使った靴のサンプルで,靴を作り、結納品(ゆいのうひん)の1つとして花嫁側に送ります。足のサイズをごまかしていないことを証明するため、花嫁は結婚式の当日にこの靴を履くのがしきたりでした。花婿側はわざと小さめの靴を作り、花嫁を辱(はずかし)めるという風習があり、これを借りて意地悪な扱いを受けて困ることを喩えるようになったのです。

 使い方

By whenis , 4 4月, 2017

今年の新年のあいさつで、習近平国家主席が「不忘初心 继续前行(初心を忘れずに引き続き前進する)」と言ったことで、この「不忘初心」が流行るようになった。中国にはそもそも「不忘初心 方得始终」という言い方があり、「初心を忘れずにいれば、いい結果が得られる」という意味になる。

 日本語にも「不忘初心(初心忘れるべからず)」という言い方がある。つまり、何事でも、始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けていかねばならないという戒めだ。

 物事に慣れてくると、怠けたり、思い上がったりしてしまいがちになるのはよくある。はじめたときの気持ちや志を忘れてはいけない。日本では4月は

 年度や学期の始まりの時。今の気持ちを忘れずに。

By whenis , 13 3月, 2017

意味

 暗(ひそ)かに陳倉に渡る(陳倉は地名)。

 孫子の兵法三十六計の第八計で、偽装工作と奇襲をあわせる戦術のこと。

 由来

 紀元前206年、秦が滅んだ後、劉邦は項羽から、蜀の漢中(現陝西省)に封じられた。劉邦は、項羽の拠点である関中へ進める意図がないことを示すために、秦嶺山脈の褒河に沿った断崖絶壁にある桟道を焼き払ってしまった。

 劉邦の大臣となった武将韓信は、項羽が反乱を平定させるため各地を転戦するようになったのをチャンスとみて、敵にもわかるように桟道をわざと大人数で修理し、あわせて、密かに山脈を迂回し、古い道を利用して関中を奇襲するという作戦を提案し実行した。項羽側の将軍章邯は、長い桟道を修理しているはずの劉邦軍は、来るにしてもかなり先だろうと油断していたが、突然の攻撃に次々と城を破られた。その勢いのまま韓信は章邯軍のみならず他の項羽側の武将も滅ぼし、関中を占めて劉邦の天下統一、漢の建国のさきがけとなった。

 使い方

By whenis , 13 2月, 2017

ニワトリの毛やニンニクの皮。極めて軽いこと、重要ではないこと。つまり、たいしたことではない些細なこと、あるいはとるに足らないつまらないこと。

 由来

 昔、ニワトリの商売をする人とニンニクの商売をする人が隣り合って住んでいた。両方とも生活が苦しく、早起きしてそれぞれニワトリの毛を抜き、ニンニクの皮を剥いていた。和気あいあいと住んでいたが、2つの家族は風が吹くと、ニワトリの毛とニンニクの皮が舞って混ざってしまい喧嘩になる。

 ある日、喧嘩が激しくなって、裁判となった。裁判官がニワトリの毛とニンニクの皮に関する事件と聞いて、「こんな些細なことで裁判にかけるのか」と言って、二人をそれぞれ十回の打つ刑として、反省させた。後にこのことが広がり、些細なことや価値の小さなことを「鸡毛蒜皮」と言うようになった。

 使い方

By whenis , 27 1月, 2017

前漢時代の皇族、学者劉安にちなんだ故事成語。

 話によると、劉安は仙人になりたくて、仙人になれると言われる仙薬の処方をもらって自ら調合していた。仕上げた仙薬を服用すると、身体が宙に空に浮き上がった。それどころか、家で飼っていた鶏や犬も庭に置かれた仙薬をなめたため、天に昇ったという。

 後に、この言葉は一人が出世するとその親類縁者まで権勢を得ることのたとえとなった。 

By whenis , 26 1月, 2017

これも『晋書』からの出た故事成語。

 鶴が鶏の群れに立つ。鶴は高雅なもので、鶏は普通のもの。つまり、凡人の中に優れた人物が一人混じっているたとえ。

 三国時代の末期から晋にかけて、中国史上有名な「竹林の七賢」の一人、嵇康の息子・嵇紹由来の言葉。その中で、嵇紹のことを「多くの人がいる中で、嵇紹を見た。ひときわ高く抜きん出ており、まるで野生の鶴が鶏の群れの中にいるようだ」と書かれていた。嵇紹は晋の恵帝を命がけで守っていたので、。亡くなったなくなった後も恵帝によく思い出されたという。

By whenis , 25 1月, 2017

『晋書・祖逖伝』由来の言葉。

 「闻」は聞く、「鸡」は鶏、「起舞」は舞う、、踊る。ここでは剣術の稽古を指

す。

 祖逖は東晋の武将で、幼馴染の劉琨と大変仲がよくて、二人は同じ夢を持っていた。それは、中国を他国の侵略から守り、晋王朝を復興し、平和な世の中を作ることだった。二人はその夢のためには、努力を惜しまず、明け方鶏の鳴き声とともにを聞いて起き、庭に出て剣術の稽古をした。それは、1年中1日たりとも途切れることなく続いた。長い間の努力のかいがあって、祖逖は優れた軍事的能力を身に付け、将軍に任じられた。一方の劉琨はたぐいまれな文才で、地方行政の最高長官に任じられ、三つの州の軍事を管轄していた。

 二人の絶え間ない努力に感心し、彼らが鶏の鳴き声とともに起きて稽古したことを「闻鸡起舞」と言って、目標のために弛まぬ努力することを指すようになった。  

By whenis , 23 1月, 2017

意味

 成語。竜を描いて目を描き入れる。最後に一つ手を加えて完璧なものにする。文章や話で最後に大事なことを付け加えて全体を引き立たせることを喩える。

由来

 南北時代の梁には張僧繇(ちょうそうよう)という有名な画家がいた。ある年、張僧繇が皇帝に金陵の安楽寺に絵を描くことを命じられ、三日間で壁に4つの金の龍を描き終った。上手く描けたので、皆に讃えられた。しかし、4つの龍に目が描かれていないことに気づいた人がいて、聞いた。すると、張僧繇は「目を描いたら飛んでいくから」と答えた。

 この話を皆、信じるわけには行かない。そこで、張僧繇は仕方がなく、2つの龍の目を描いたら、龍が本当に壁から飛んで行った。

使い方

By whenis , 29 12月, 2016

掩耳盗铃(yǎněrdàolíng) えんじとうれい

 意味

 耳を覆って鈴を盗む。自己欺瞞の行為を風刺する。

 由来

 「呂氏春秋」に由来する。

 ある泥棒が1つの大きな鐘を盗もうとした。だが、鐘は大きくて重いため、背負っていくのは無理である。これを砕いたら持っていくのに便利だろうと思った泥棒は、かなづちで鐘を叩いてみた。すると、鐘が大きな音で鳴り響いた。泥棒はびっくりして、誰か他の人に聞かれたら鐘がその人に奪われるのではないかと思い自分の耳を塞いだ。もちろん、ほかの人には聞こえている。

 後に、盗もうとする鐘が鈴になって、自己欺瞞、愚かな行為を言う。

 使い方

 环境监测岂能掩耳盗铃。

 環境モニタリングでは耳を覆って鈴を盗むようなことを許してはいけない。

 删除行贿号码不过是掩耳盗铃。

 贈賄の電話番号を削除することは、耳を覆って鈴を盗むことに過ぎない。