By whenis , 26 3月, 2018

直訳すると、容器に水を入れて魚を飼うという意味ですが、これは最近、政府が企業の活性化を目指す税制改革を喩えるためによく用いられる表現です。

 第13期全人代第1回会議で発表された『政府活動報告』で、減税や税制改革に言及した部分はなんと18ヵ所もあります。これは歴代の政府活動報告の中でも史上最多を数えるものです。この政策は、主として製造業、交通運輸業、中小企業や零細企業と給与所得者の税負担を軽減することによって、実体経済のモデルチェンジとアップグレードを促し、更に起業を推奨して、国民生活を改善することを目指したものです。

 この報告が発表された頃、8000億元減税、という数字が最近のニュースの見出しに踊っていましたが、これだけの水(栄養)が注がれたら、魚も元気になるはずですね。他にも、今回の両会議期間中、国家税務総局(署)の王軍局長が取材陣に3枚の図を公開したのですが、そこにも、企業の利益増加の一部が減税によるものだということが如実に現れています。

 ネットの記事には、こんな評論のタイトルもあります。

By whenis , 24 3月, 2018

雇用者が被雇用者側に与えるべき社会保障待遇の総称で、中には養老保険、医療保険、失業保険、労災保険(工伤)、生育保険、そして住宅積立金が含まれます。

 日本の社保で考えると、医療保険(中国では医疗保险)、年金保険(中国では养老保险)、介護保険(中国では养老保险)、雇用保険(中国では失业保险)、労災保険(中国では工伤保险)がそれにあたります。中国の「生育保险」のカバー範囲は、日本だと健康保険や雇用保険がカバーしていることになります。

 「五险一金」にある養老保険、医療保険、失業保険と住宅積立金は、雇用者と被雇用者双方が、被雇用者の給与を基準とする一定の割合の金額を収めます。一方、労災保険と生育保険は雇用者負担になっています。また、2016年3月23日に公布された「第十三次五ヵ年計画要綱」では、生育保険を基本医療保険と合併すると明記されていますので、今後、これは「四险一金」という形にまとまることになるかもしれません。

 初期のくくり方では「三险一金」と呼ばれていましたが、2004年に労災保険、2006年に生育保険が実施されたことで、これらを合わせて「五险一金」と呼ぶことになったわけです。これを一部の地方や企業で現在もまだ「三险一金」と呼んでいるのは、労災保険と生育保険が全部雇用者負担だからです。

By whenis , 23 3月, 2018

「普惠金融」はインクルーシブ・ファイナンス(後述参照)、「事业部」の方は字面通り事業部の意味です。単語の順序を逆にした「金融普惠」は金融包摂、ファイナンシャル・インクルージョンの意味を表します。ここでは、「普惠金融事业部」として、銀行のインクルーシブ・ファイナンス業務を担当する部門を表します。

 この「普惠金融」インクルーシブ・ファイナンスは、国連が2005年に提起した概念で、金融サービス需要のある社会の各階層や人々に向けて、適切かつ必要とされるレベルでの金融サービスを低コストで提供するというもので、中小企業、零細企業、農家、都市部の低所得層などを主なターゲットにしています。

 この「金融普惠」の概念は、貧困を撲滅し、社会の公平の実現を目指す、つまりは貧困層の人々が経済的な疎外を受けることを無くそうというもので、単に金銭でケアするような活動とはまた違い、全員を巻き込みながら(インクルードしながら)、社会全体の発展を図ることを考えるというものです。そうした層にマネーを流すことで、貧困問題の解決を狙いつつ、更に全国の金融システム自体の活性化が図られることを狙った動きと考えることもできるでしょう。

By whenis , 21 3月, 2018

炎帝と黄帝、古代中国には伝説上の二人の有名な皇帝がいたそうです。民族の祖先です。この二人の名前を縮めて「炎黄」。仲間うちで、「やっぱり中国人だ」「中国人は一番さ」といったニュアンスの時に使われるようです。日本でいうなら「我こそは日本男児」というところでしょうか。先日、人民日報に中国国際人材交流基金が主催する「炎黄賞」の受賞者が決まった、という記事がありました。「炎黄」はいまの中国で脈々と生きているのです。

 今回の「博物館めぐり」は、炎黄芸術館を訪ねましょう。北京の北、第四環状道路の安慧橋からアジア大会選手村(亜運村)の方へ、北へ300メートルほど進んだところにあります。唐宋の時代の雰囲気を持つこぢんまりとした建物です。

 それもそのはず、この芸術館は人民芸術家といわれた画家・黄冑が個人で作り上げた美術館です。館長は夫人の鄭聞慧さんです。鄭さんによれば、最初は、「華夏」とか「東方」とかいろいろ候補にあがりましたが、本人の名前も黄、そして中国人に親しみを与える炎をとり、いまの名称になりました。

 さて、黄冑さんはどんな画家だったのでしょう。1925年河北省の生まれ。鄭さんや家族によると、ロバをはじめ動物の絵を好み、水墨画の技法で人物画を描くのを得意としました。五四運動で破壊された中国画の伝統を復活させた功労者でもあります。

By whenis , 20 3月, 2018

北京の中心部に入るには、いくつかの門をくぐらねばなりませんでした。東直門、西直門など多くの門は、いま、地下鉄2号線の駅名となって、その名残りを留めています。地下鉄2号線は、北京駅から時計回りで行けば、前門、復興門、雍和宮などを回って戻ってくる環状線です。乗り間違いの心配はないので、北京観光の折には、ぜひ試してみるといいでしょう。

 さて、その宣武門のあった南の地域は、宣南と呼ばれ、古くから文化人や学者、そして京劇の俳優が住み、また商業の中心としても栄えました。故宮の一帯が皇帝やお役人の世界だったとすれば、宣南は庶民文化が花開いたところでもあったのです。

 その歴史が一目で分かるところが、北京宣南文化博物館です。もともとは、長椿寺というお寺でした

 お寺ができたのは1592年、明の時代です。時の皇帝は、長寿と健康を祈って、「長椿寺」という名前を贈ったそうです。そういえば、椿はなかなか枯れることがなく、いつまでも青々としていて、日本でも長生きのシンボルになっています。回族がたくさん住む牛街に通じる道は長椿街ですが、この名前もお寺から来ています。

By whenis , 19 3月, 2018

「三点半」、つまり三時半の意味ですが、この三時半は小学校の下校の時間をさしています。ですが、中国の現実を取り巻く環境は少々複雑です。現状として、家からかなり離れている学校に通っている小学生が多く、保護者の送り迎えが必要となる一方、三時半に学校へ出迎えに行ける保護者が限られているという現実があるからです。そして、これが今回の両会議で熱く議論される話題にもなっています。

 中国の家庭は共働きが多いので、三時半というのは非常に中途半端な困った時間になります。そんな状況の中、保護者の委託を受けて学校まで子供を迎えに行き、預かってくれる有料の「托管班(放課後託児クラス)」が出てきました。そして、保護者が会社勤務を終えて迎えにくるまで丸々2時間以上あることから、この「托管班」で習い事をする子も多くなっています。この「托管班」は、日本の塾のような大きな組織の中でやっているところもありますし、個人が運営しているところもあります。勿論、それなりの費用がかかります。

By whenis , 18 3月, 2018

「班额」は小中学校の学級の定員を意味する言葉です。中国の小中学校の一学級の定員は一般には35人から45人なのですが、一部の学校には「大班」と呼ばれる定員46人から55人までの大きい学級、「超大班」と呼ばれる56人から65人までの更に大きい学級、さらに、もっと人数の多い「特大班」と呼ばれる66人を超える特別に大きい学級が存在しています。

 この「大班额」の出現はここ数年のことではなく、10年前から話題になっています。2016年の調査では、全国には義務教育段階で「大班额」の基準を満たす学級が45万学級あり、全学級数に占める比率は12.7%、もっと大きい「超大班额」の基準を満たす学級が14万学級ありました。ですが、これは2015年と比べると少なくなっており、「大班额」の学級が4万学級、「超大班额」の学級が3万学級、それぞれ減少しています。

By whenis , 16 3月, 2018

路東之さんは1962年、北京生まれの画家です。幅広い活動をしている芸術家といってもいいでしょう。学生時代には数多くの美術展に出品して入賞したほか、ルポルタージュも手がけ、中国作家協会のメンバーにもなっています。その路さんが、運営しているのが古陶文明博物館です。北京の古い町並みが残る宣武区右安門内西街にある小さな博物館です。

 ここに展示されているのは、新石器時代から秦、漢の時代にかけての泥細工、瓦(かわら)、陶器です。収蔵品は3000点。このうち、2000点ぐらいが並んでいるそうです。初期のかわらには鳥や動物の姿がかたどられていますが、やがて、太陽や宇宙を連想させる模様も登場します。こうした模様は権力者の象徴、つまり、権力者の家でなければ、かわらは使えなかった、ということでしょう。  

 陶器は、水や酒を入れる容器、食器など生活用品に使われました。その後は、門の扉の部分やお墓にも利用されるようになりました。展示されている一つ一つを見ながらホールを歩いていくと、はるか昔の庶民の生活ぶりがしのばれます。

 他の人が感じられないことをやっていくのが、芸術家の役割であり、仕事だと路東之さんは言います。そして、この博物館は、来年、開館10周年を迎えます。

By whenis , 14 3月, 2018

憲法改正に合わせる形で立ち上げられた、中国全国の党機関・政府機関を対象に監察を行う組織です。これまでと違うのは、この監察委員会は共産党や政府に属さない国家監督機関となることです。

 憲法改正にあたり、党中央委員会から出された「中国共産党中央委員会による憲法の一部内容の修正に関する意見」は、合計21項目の修正意見からなり、その中で「監察」に言及したものはなんと11項目にも上り、その中で、 新しくこの「監察委員会」の設置が提案されています。ちなみに、2月25日の時点で、既に全国31の省・直轄市・自治区において、早速三つのレベルの監察委員会が立ち上げられ、監察体制の整備に向けた取り組みがスタートしています。

 今回の監察体制改革の起草に参画した中国政法大学の馬懐徳副学長の話によりますと、国家監察委員会は党の機関ではなく、党の機関と協力して作業を進める機関であるとされ、かと言って政府の機関でもなく、政府から独立して、政府と平行する機関として設立されるとしています。こうすることで、国家全体を監督する機関としての立ち位置を作っているのです。そして、この機関の設置は重要な行政改革の一部で、政府や裁判所、検察機関の活動をも監察する機能があります。

By whenis , 11 3月, 2018

「修宪」は「修订宪法」の省略形で、憲法改正を意味します。先日5日開幕した全人代(全国人民代表大会)では、憲法改正の議論が行われています。

 現行の憲法は中華人民共和国にとって第四版に当たる憲法で、1982年12月4日、第五回全人代で採択され公布されたものです。公布から現在に至るまでに1988年、1993年、1999年、そして2004年と四回の改正を経ていますので、今回は五回目の改正に当たります。

 中華人民共和国は1949年に建国され、初めての憲法は1954年に公布されたもので、その後は1975年、また1978年、そして1982年にと、それぞれ新たなバージョンを発表してきました。

 今回の改正の理由については、中国共産党の党規約の改正と同じように、これから中国が「新時代」を迎えるにあたり、改革を断行していくことを方針化したものとなっています。今回の憲法改正は、そうした改革の必要に合わせたものになります。

 時代の変化に合わせて一つの国が動き出す姿を、私たちはこの目で目撃していることになりますね。