By whenis , 31 5月, 2018

中国でも、いまは夏休みシーズンです。国内旅行に出かける人たちは年ごとに増えています。「博物館めぐり」は北京を中心に訪ね歩いていますが、今回は浙江省に出かけたのを機に、変わった博物館を紹介しましょう。

 浙江省の省都は杭州です。8大古都の一つで、南宋の都でもありました。西湖を擁し、これを取り巻くように広がる町並みはとてもきれいです。上海から2時間、日本からも直行便が飛んでおり、内外から多くの人を引き付けています。ここには1929年に建造された浙江省博物館をはじめ、茶葉博物館、シルク博物館、漢方博物館など、バラエティーにとんだものがあります。

 南宋時代に最も栄えた焼き物が青瓷器です。これだけを集めた青瓷博物館というのも浙江省にあります。取材で訪ねたのは、杭州から2時間半ほど離れた麗水市にある「麗水市処州青瓷博物館」です。この博物館、ユニークなのは個人の経営だということです。叶英挺さんという、青瓷の研究者でもある人が、20年以上かけて集めたものを公開しているのです。

By whenis , 29 5月, 2018

お寺の境内に至る所、鐘、鐘、鐘。今日は鐘ばかりを集めた北京大鐘寺古鐘博物館を訪ねます。大鐘寺は地下鉄13号線の大鐘寺駅から歩いて7、8分のところにあります。集められた鐘は約700個、そのうち500個ほどが展示されています。  

 鐘は時を告げるものであったり、音楽を奏でるのに使われました。銅製のものがほとんどですが、古いものでは陶器で作られたものもあります。ずんぐりした型だけが印象に残りますが、近づいてよく見ると、花模様とか仏像が彫りこんであったり、銘文が刻まれてあったりします。  

 この博物館で目を引くのは、なんといっても「永楽大鐘」という世界でも歴史の古い最大の鐘です。作られたのは明代の永楽18年といいますから、1420年です。重さは46トン、直径は3.3メートルもあります。46トン以上の鐘は世界に8個あるそうですが、歴史が一番古いのは、永楽大鐘です。京都の知恩院の大鐘もけっこう大きくて、74トンあるそうですが、永楽大鐘はそれより280年ほど早く作られています。そして、銘文が最も多い鐘です。23万余りの経文や呪文が刻まれています。

By whenis , 27 5月, 2018

中国地質博物館は、1916年に最初の基礎ができ、2006年7月で90周年を迎えます。中国に数ある博物館の中でも、伝統ある自然博物館です。北京の西四にあり、近くには、広済寺、歴代帝王廟、白塔寺などがあり、とても分かりやすい場所です。

 建物は7階建てですが、このうち1ー4階の4500平方メートルが展示スペースで、20万点を超す収蔵品のうち、1割ほどがショーケースに並んでいるとのことです。1階は地球ホール。直径3メートルもあろうかと思われる地球儀がどんと置いてあります。地球の成り立ちや火山、地震についての解説やパネル展示があり、いわば学習コーナーともいえます。   

 2階にあがると鉱物、岩石の展示ホールです。世界最大といわれる水晶の玉、これは重さが3.5トンもあります。それに、蛍石や方解石の結晶など中国を代表する鉱物標本が並びます。中国のお土産に「玉(ぎょく)」の工芸品がありますが、その原石がこういったものなのでしょう。孔雀石というのも見つけました。孔雀が羽を広げたときのように、赤や緑の鉱物が岩石に自然な形で散りばめられています。

By whenis , 26 5月, 2018

北京を訪れた人が必ず足を向ける繁華街、王府井。長安街から北京飯店を左に見て、北に向かうこの一帯はいつも大勢の人でにぎわっています。その近代的なショッピングモールがある東安市場の地下に、小さな博物館があるのをご存知でしょうか。王府井古人類文化遺跡博物館です。この取り合わせを不思議に思い、訪ねてみました。

 1996年の暮れも押しつまった12月28日のことです。前の年から始まった東安市場の整地作業の最中、石や骨で作ったナイフ状のものとか、動物の骨、火を使った跡など、かつて人間が生活していた痕跡がたくさん見つかったのです。

 北京郊外の周口店といえば、北京原人が発見されたところですが、はるか昔の人類の足跡が、北京の都心部に残っていることで大騒ぎになりました。

 工事を中断して、中国科学院古脊髄動物・古人類研究所や北京市文物研究所による発掘作業が8カ月にわたって行われました。その結果、地下11ー12メートルに2000平方メートルにわたって、人々が暮らしていたことが分かり、石器、動物の骨など2000点が収集されました。いまから24000年から25000年前、旧石器時代後期の遺跡と見られています。火を使った形跡もあり、当時の人が焼いたり、煮たりした食べ物を口にしていたことが伺えます。

By whenis , 25 5月, 2018

北京の伝統芸能に京劇があります。きらびやかな衣装、ドラも加わった音楽。言葉が分からなくても、十分に楽しむことができます。北京の劇場で観覧可能ですが、短い日程で北京ツアーにやってきた人は、切符の入手や問い合わせが面倒なため、尻込みする人も多いようです。

 そんな人にうってつけの場所、北京戯曲博物館を紹介します。京劇を毎日上演している常設劇場ともいえます。宣武門のあった南の地区、つまり宣南地区が庶民文化の発祥の地、と紹介したことがあります。京劇は清の時代に始まったもので、最盛期の北京には20を超える劇場があり、そのほとんどが宣南地区に集中していました。  

 その宣南には、全国各地から文化人や商人が集まってきました。そして、宿泊したり情報交換のための場所、日本流にいえば県人会の寮のような施設が次々と建てられました。

 そのひとつに湖広会館というのがありました。1807年に建てられたもので、湖北省と湖南省出身者が寄り添う場所になりました。新中国の成立後は一般の住宅や事務所として使われてきましたが、10年ほど前、改修を加え、北京戯曲博物館として衣替えしたのです。  

By whenis , 24 5月, 2018

中国はインドと並ぶ映画大国です。年間300本以上が製作され、外国での上映の機会も増えています。「紅いコーリャン(中国語名:紅高梁)」「初恋の来た道(我的父親母親)」「心の湯(洗澡)」「山の郵便配達(那山那人那狗)」といった作品は日本でも評判を呼びました。最近では高倉健さんが出演した中日の合作映画「単騎千里を走る」も作られました。   

 そんな映画の国にふさわしい博物館、中国電影博物館が2月10日に北京にオープンしました。ちなみに電影は中国で映画のこと。今回の「博物館めぐり」は映画の旅に出かけましょう。   

 博物館はアジア最大規模という触れ込みです。映画博物館が必要だと声をあげたのは、1958年、時の周恩来総理だったのです。しかし、具体化したのは改革開放政策が始まってからで、2002年に着工され、建物は3年がかりで完成し、一年の準備時間を経てオープンにこぎつけたわけです。   

 世界で初めて映画が上映されたのは1895年のフランスです。一方、中国で初の無声映画が作られたのは1905年ですから、この博物館は中国映画100年の歴史を反映しているともいえます。

By whenis , 13 5月, 2018

歴史の都、北京には博物館や記念館がいくつぐらいあるのでしょうか。インターネットで検索し、地図で捜してみました。その結果、170を超す施設が見つかりました。一時閉鎖中や改築中のところもあるようですから、実際はもっと多いかもしれません。多くの特色のあるなかで、今回紹介するのは、古建築をテーマにした博物館、北京古代建築博物館です。建築と名づけた博物館は全国でもここだけです。

 この博物館は北京の南、「先農壇」の中にあります。壇とは、古代に祭りや祈りごとなどの行事に使われた台のことです。「天壇公園」は有名ですが、ここは天を祭るところ。となれば、古代建築博物館は農業と関係ありそうです。

 1991年9月に一般公開が始まり、原始社会から明・清の時代に至るまでの建築の特色が分かるようになっています。中国は農業大国です。春先には豊作を祈り、秋には収穫に感謝する皇帝の儀式が、この先農壇で行われたのです。明の都は当初、南京にあり、同じような台は「山川壇」と呼ばれたものがありました。北京に都が移ってから、作られたのが先農壇。これに四合院式の建物が一体となっています。

 博物館はその建物を利用した形になっています。中心となる太歳殿に入ると、横長の大きな絵が目に入ります。清の雍正帝がたくさんの御つきを従えて、豊作を祈っている図です。

By whenis , 12 5月, 2018

元、明、清と三代にわたって北京の人たちに時を告げつづけた場所、それが鐘楼と鼓楼でした。鐘はゴーンという鐘、鼓はドン、ドン、ドンという太鼓です。今回の博物館めぐりは、この北京鐘鼓楼文物保管所、故宮の北、北海公園に近いところに建つ鐘鼓楼です。

 明の時代、1420年に建てられたといいますが、火災などもあり、今、お目にかかれるのは、1749年、清の時代に改築されたものです。

 鼓楼には一つの大太鼓と24の小太鼓がありました。昔、中国では、2時間をひとくくりにして「更」と呼びました。水時計が正確な「更」を告げると、これを聞いた太鼓の打ち手25人が、リーダーの指示のもとで太鼓をたたくのです。そして、鐘がつかれます。太鼓と鐘、合わせて108回、これら「更夫」と呼ばれる人たちで、市民に時間が伝えられたのです。複製品ですが、水時計も鼓楼には残っており、30分に1回で、太鼓の実演を見ることもできます。

 太鼓と鐘の音は、いまの前門あたりまで伝わったといいますから、まさに都のシンボルだったのでしょう。ところで「更夫」さんたち、うっかりして太鼓をたたくのを忘れたりしなかったのでしょうか。文物保管所の朱英麗さんに聞いてみたら、「記録にそんなことが残っていませんが、みんな大きな使命感を持っていたはずですよ」とのことでした。

By whenis , 11 5月, 2018

中国国家博物館は、天安門広場の東側に建つ威風堂々の博物館。中華民族の歴史が一目で分かります。大小合わせれば、中国には2300の博物館、記念館の「歴史の現場」がある、といわれますが、その頂点に立つのが、この国家博物館です。

 建物は、新中国成立10年後の1959年に建てられました。当初は、「中国歴史博物館」としてスタート、「中国革命博物館」も設けられました。二つが合併して、今の形になったのは、2003年2月末のことです。広さは6.5万平方メートル、08年の北京オリンピックまでには15万平方メートルになる予定です。

 収蔵品は30万点。このうち、陳列されている文物は1万点。ぶらぶら歩きしていたら、2ー3時間はかかるでしょう。今、常設展で人気があるのは、「蝋人形」で知る中国・世界のコーナーです。中国初の宇宙船「神船6号」の飛行士の笑顔に迎えられて展示室に入ると、孔子、孟子、毛沢東、トウ小平といった要人に出会うことができます。

 ニュートン、ピカソ、マリリン・モンローなど故人ばかりでなく、なんとビル・ゲイツもいます。みんな等身大、本当に生きているようです。それぞれの説明文を見ながら、歴史がしのべます。

By whenis , 10 5月, 2018

路東之さんは1962年、北京生まれの画家です。幅広い活動をしている芸術家といってもいいでしょう。学生時代には数多くの美術展に出品して入賞したほか、ルポルタージュも手がけ、中国作家協会のメンバーにもなっています。その路さんが、運営しているのが古陶文明博物館です。北京の古い町並みが残る宣武区右安門内西街にある小さな博物館です。

 ここに展示されているのは、新石器時代から秦、漢の時代にかけての泥細工、瓦(かわら)、陶器です。収蔵品は3000点。このうち、2000点ぐらいが並んでいるそうです。初期のかわらには鳥や動物の姿がかたどられていますが、やがて、太陽や宇宙を連想させる模様も登場します。こうした模様は権力者の象徴、つまり、権力者の家でなければ、かわらは使えなかった、ということでしょう。  

 陶器は、水や酒を入れる容器、食器など生活用品に使われました。その後は、門の扉の部分やお墓にも利用されるようになりました。展示されている一つ一つを見ながらホールを歩いていくと、はるか昔の庶民の生活ぶりがしのばれます。

 他の人が感じられないことをやっていくのが、芸術家の役割であり、仕事だと路東之さんは言います。そして、この博物館は、来年、開館10周年を迎えます。