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皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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六親不認

"六親不認"ですが、字面の意味は、六親を認めない。

 中国の歴史には、「六親」に関して、特定の内容があります。その代表的な言い方が三種類あります。『春秋左氏伝』によりますと、親子、兄弟、姉妹、甥と母方の兄弟、妻の親族及び夫の親族だということです。『老子』によると、父子、兄弟、夫婦が六親だということです。そして、『漢書』によりますと、父、母、兄、弟、妻、子を指しているということです。この3種類の言い方がありますが、そのうち、三番目の言い方、つまり、父、母、兄、弟、妻、子という言い方が最も一般的です。つまり、血筋と婚姻関係で最も関係の親しい人たちです。

 中国では昔から大家族が集まり棲むというのが非常に重んじられてきました。つまり、直系家族の他に、傍系や親族も同じ土地に一緒に暮らします。一緒に住むことによって、農業生産で助け合ったりすることができるのです。

 これは中国社会の特徴の一つといえるでしょう。家族関係を非常に重視しています。ですから、昔から、家族の子弟が出世すれば、"衣錦還郷"ふるさとに錦を飾ると言って、家族全員にとって、大きな名誉になります。もちろん、出世した人は、親族の面倒をみることになります。

五十歩笑百歩

中国は日本語より一つ字が多いです。五十歩と百歩の間に、笑うの笑が入っています。これは厳密に言えば、四つの字ではないので、四字熟語とは言えないので、成語と言います。

 日本語と比べると、中国語の方が分かりやすいですね。五十歩後退した人が百歩を後退した人をあざ笑うということです。

 同様の立場にありながら、相手を嘲笑する愚かさを言います。言葉の出典となるのは、『孟子』です。

 中国の戦国時代に、梁の恵王が孟子に尋ねました。「私は、凶作の地にいた民を豊作の地に移住させるなど、常に人民に気を配っているが、何故、他の国の人民が減らず、私の国の人民が増えないのだろうか?」

 孟子は答えます。「王は戦争の話が好きですから、戦争の話にたとえましょう。戦場では太鼓が鳴り、両軍は激しく戦っているところです。鎧を捨てて、武器を引きずって逃げるものが現れました。百歩逃げたものもいるし、五十歩逃げたものもいます。もし、五十歩逃げた者が、百歩逃げたものを臆病者だと嘲笑ったら、どう思いますか?」

 恵王は「五十歩逃げた者はただ百歩にならなかっただけだ。逃げ出したことには変わりがない」と答えました。

五穀豊登(ごこくほうとう)

"五穀豊登"。日本語で「五穀豊穣」と言います。中国語は最後の字だけ違います。穣ではなくて、登です。

 意味は同じです。穀物が豊かに実ることです。「五穀」は中国で昔から主食とされる穀物です。一般的には、米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)を言います。

 「豊穣」、或いは中国語の"豊登"は、穀物が豊かに実ることです。日本では、「五穀豊穣」は、いつも「家内安全」や「商売繁盛」と同じように、祈願の言葉として使われていますが。中国では、よく「五穀豊登、六畜興旺」と言います。六畜とは、中国では昔から農家でよく飼育される六種類の家畜です。この六種類の家畜とは、牛、馬、羊、ニワトリ、犬、豚を指します。歴史上、長きにわたって、農業が基幹産業だった中国では、「五穀豊登、六畜興旺」は、家業が栄えることを表します。

両袖清風

「両袖清風」。二つの袖に清らかな風。

 中国では昔の服装は袖が太くて長いかったのです。その長い袖にポケットがあって、ものを入れることができます。ですから、賄賂を受ける時に、袖に入れます。

 日本語にも「袖のした」という言葉がありますが、たもとに隠すようにしてそっと渡すもの、賄賂を表します。中国と日本、賄賂のやり方がいっしょなんですね。

 官僚が、両方の袖には清らかな風しかないと言えば、自分が賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしたことがない、清廉潔白な人だという自慢になります。「両袖清風」にまつわるこんな故事があります。主人公は明の時代の民族的ヒーローであり、詩人でもある于謙です。

 明の時代、宦官王振は自分の私利私欲を満たすために権力を濫用していました。官僚たちが集まる度に、各地から上京した官僚は彼に媚びるため、金銀や宝石などをよく献上しました。しかし、省長に当たる地方の長官を務める于謙は上京する時に、いつも何の土産も持って来ません。彼の同僚は「金銀を捧げ、媚びたりしなくてもいいから、せめてシイタケやハンカチなど、地元の名産品を持って、気持ちだけ示したほうがいいじゃないか」と、彼にアドバイスしました。しかし、于謙はその両袖には清らかな風しか通らないと言い、他の官僚の不正行為を批判しました。

不二法門

仏教から来た四字熟語です。たった一つの最もいい方法という意味を表します。不二というのは、とても難しい仏教の概念です。生と死、善と悪、罪と福、世間と出世間、煩悩と菩提(ぼだい)など、皆相反する概念ですが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものだという考えです。生きると死ぬなどを見極めることができれば、迷いも束縛もなくなる。つまり、不二の法門に入るわけでしょうか。

 仏教の経典によりますと、あわせて8万4000の法門が存在しています。その中で、不二法門は最高の法門です。人間はそれに入ると、生死を超え、成仏できるということです。もちろん、この法門というのは、空間ではなく、思想の門を指しているんです。

 不二法門は、『維摩経』(ゆいまきょう)の重要な思想です。この『維摩経』の内容は中インドの長者、ヴィマラキールティ(維摩詰)にまつわる物語です。こんな物語があります。

 ヴィマラキールティは在宅修行の菩薩です。すべてを捨てたほかの菩薩とは違って、ヴィマラキールティは美しい妻や妾を持つほか、広々とした邸宅や田畑を持ち、地元で有名な金持ちです。彼は誠心誠意、修行をすると同時に、俗世間の活動にも積極的に参加しています。このような出家しているようでしていないようなやり方はとても不思議に思われます。

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