「○○千金」の構造の四字熟語

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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「一攫千金」、日本語でも使う四字熟語ですね。中国では、昔から、「千金」は大変価値あるものを表す言葉として、色々な場面で使われます。もちろん、四字熟語になっているものがたくさんあります。

 「一刻千金」という言葉があります。時間の貴重なことの例えです。これは蘇軾の詩、「春宵一刻値千金」から来ています。春の夜のすばらしさは一刻が千金にも値するという意味でしたが、今はよく新婚の夫婦が過ごした初めての夜のことを表します。蘇軾が描いた元の意味より、少し俗っぽくなりましたね。

 もうひとつご紹介しましょう。「一字千金(いちじせんきん)」。大変優れた文字や文章のことを言います。秦の始皇帝の宰相、呂不韋(りょふい)にまつわる故事があります。ご紹介します。

 商人から秦の宰相となった呂不韋は、自分の名声を高めるため、食客3000人を集め、26巻の20万字あまりからなる『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』という書物を完成させました。これは春秋戦国時代の各思想流派の説を集めた一種の百科全書です。

 この書物は紀元前239年ごろに完成しました。呂不韋は全文を書き写し、都の城門に貼り付けるよう命じると共に、「一字でも増やしたり、減らしたりできるものがおれば千金を与える」との布告を出しました。

 これは「一字千金」の話の起こりです。その後の話なんですが、結局、その本に一字増やしたり減らしたり、或いは直したりした人はいませんでした。

 人々は呂不韋の力におびえ、下手をすれば、命を失うかもしれませんから、千金は大金ですが、命がなければ意味がないですので、一人も現れませんでした。

 呂不韋は、もともと地位の低い商人でしたが、商人から一躍宰相になって、しかもそれほどの力を持っていたというのは、たいしたものです。

 呂不韋は最大の投機をしたのです。彼は自分がもっていたほとんどの財産を使って、当時、趙の国で人質をしていた秦の王子を秦の国王にしました。秦の国王は恩返しをするため、呂不韋を宰相にしました。

 しかし、商人だった呂不韋は宰相になって、権力は持てたでしょうけど、人を納得させる人望は持っていませんでした。

 呂不韋はその事でとても悩んでいました。食客を招いて相談すると、こんな意見がありました。「孔子の名望が高いのは、『春秋』という歴史書を編纂したからです。孫武は呉の将軍となれたのは、『孫子兵法』を呉王に見せたからです。我々も本を書いたらどうですか?」という意見でした。

 それで、『呂氏春秋』が書き上げられたのです。そして「一字千金」という四字熟語も生まれました。

 中国語では、〇〇千金の形の四字熟語は、「一字千金」のほかにも、いくつかあります。たとえば、先ほど紹介した「一刻千金」。美人の微笑みが千金に値することを表す、「一笑千金(いっしょうせんきん)」。それから、一に飯、千金と書く「一飯千金(いっぱんせんきん)」。わずかな援助に十分な恩返しをすることを形容する言葉です。

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