「胡同(hú tòng,フートン)」とは、北京特有の古い路地です。北京ではほとんどの胡同が紫禁城を中心にしており、その大部分が元、明と清の三つの時代に出来ました。胡同は、はじめは住む人の社会的地位の高さを基に配置され、紫禁城に近ければ近いほど、その住む人の地位は高かったのです。特に、紫禁城の近くの東西にそれぞれある胡同には貴族や高官が住み、紫禁城の南北にある胡同に住むのは一般庶民だったのです。
胡同にはそれぞれ名前があり、それに名目が多く、役所など当時の政府筋の機構、宮殿や寺院、倉庫や作業場、橋、河川、市場、商品や器物、人物の名前、景色や民情などから胡同の名称をつけ、その多くが今でも使われています。
胡同の住民は最初は一族が集まり住んでいたもので、数世代の人々による大家族をなしていましたが、のちに異なる家族が混ざって住むようになることが増えました。北京の胡同の伝統的な住まいは、真中に庭を囲み四方にそれぞれ平屋の建物があるもので、このような配置のものを四合院(sì hé yuàn)といいました。これら四合院はきちんと建ち並び、東西南北と方向がはっきりしていて、それぞれ並んだ四合院を両側に分けて続く横丁が胡同なのです。このような伝統的な秩序ある配置は、中国の北方では代表的な住まいの一つになったのです。