By whenis , 19 11月, 2018

地下鉄2号線は1969年に着工し、1984年に全線開通しました。北京には内側と外側の2つの城壁がありましたが、この路線は、元の北京の内城をぐるりと一巡りする路線で、通称『環線』と呼ばれています。そしてこの路線は、北京の古い城壁跡を走るものでもあります。1920年代、スウェーデン人のオスヴァルド・サイレンは、「北京の城壁は、人の魂を揺さぶる遺跡だ。広く、安定感があり雄大だ。上から敵を見下ろし、四方をにらむ構えで、このような高大な城壁は唯一無二の都市設計である。」と書き残しています。1953年から外城の城壁が取り壊しが始まりました。内城の城壁は、1960年代末まで残されていましたが、地下鉄2号線の建設に伴い取り壊され、600年の長い歴史をもった城門と壁は永久に失われました。しかし、2号線の駅名は、「安定門」や「崇文門」と「門」のつくものが多く、かつて城門と城壁があったことを教えてくれます。

 積水潭駅(积水潭站)

By whenis , 17 11月, 2018

「条」という言葉で、街道を呼ぶのは、北京特有のもので、1987年に出版された「北京市城区街巷地名全図」には、あわせて422の「条」と表現される街道と路地が掲載されました。「条」は一般的に、長さにしても、その幅にしても、「街」と呼ばれる道に比べ短く、幅も狭い道のことを指します。北を上とし、南に向かって順に下へと数えていきます。道の名前をつける時、数字が使われますが、数字の前に「第」という文字はつけられません。北京市内で最も多く「条」で数えられる道は、東四から東四十四条まで、14本の道があります。つまり、東四十条というのは、このうちの1本の道で東四の10番目の道ということです。東四十条は、今では平安大街の一部となり、主要な幹線道路となっています。

 観光スポット

保利芸術博物館(保利艺术博物馆)

By whenis , 16 11月, 2018

朝陽門は、東に面した門です。きっと毎日、朝一番に陽光を受けることから、この名がつけられたのでしょう。北京には9つの城門があることで知られていますが、門にはそれぞれ、異なる用途がありました。朝陽門は、南から水路を経由して、通洲埠頭に着いた食糧が、朝陽門から城内に運ばれるため、「糧門」(食糧の門)と呼ばれていました。解放後は交通の利便を図るため、取り壊され、立体交差橋が建設され現在に至っています。

 観光スポット

東岳廟(东岳庙)

 東岳廟は1319年に建てられ、元代末に戦火で破壊され、その後、幾たびも増築され、北方最大の道観となりました。「華北第一の道観」と称されています。またこのほか、建築芸術としても高く評価されています。毎年、春節になると縁日が開かれます。北京で最も早く始まった縁日で、「幸福を祈るにはどこが良いですかと尋ねると、道行く人は皆、一様に東岳廟を指差す」と言われるほどです。

 アクセス:地下鉄A出口出て、東へ向かって600メートル。

 参観料:10元/人

段祺瑞邸宅(段祺瑞宅)

By whenis , 13 11月, 2018

前門は正陽門の俗称で、単純に門を指すのではなく、正陽門とその前の前門大街の一帯を指します。明代、前門の周囲には、一大商業区域が広がっていました。現在、老舗も多く、賑やかなこの区域は、老北京の姿そのままにイノベーションされ、古き良き時代の北京を再現しています。また建築は復元されたものですが、テナントは、老舗はもちろんのこと、カフェや洋食レストランなど新しいお店あり、新たな観光スポットとして注目を集めています。

 観光スポット

 前門

 前門は正陽門の俗称で、明清時代の北京内城の九門のうちの一つで南の正門でした。皇帝が紫禁城へ入る際の専用の御門で、他の者が通ることは許されていませんでした。50、60年代に天安門の拡張工事と地下鉄建設の際、正陽門の城楼と箭楼は撤去されることになっていましたが、周恩来総理の指示により保存され、現在に至っています。

 アクセス:地下鉄A出口出てすぐ。

 北京企画展覧館(北京规划展览馆)

By whenis , 9 11月, 2018

北宮門駅(北宫门站)

 北宮門は、頤和園の北門で、頤和園後門とも呼ばれています。清代の康煕から乾隆年間にかけて、北京の西の郊外には多くの庭園が造られました。その中で、よく知られているものは、「三山五園」と呼ばれていました。「三山」とは、香山、玉泉山、万寿山のことで、この山にはそれぞれ、静宜園、静明園、頤和園があり、さらに暢春園、円明園を加えて、これらが「五園」です。頤和園は1750年に建設が始まり、1764年に完成しました。五園の中で、最も遅くつくられた庭園です。保存状態が良く、中国4大名園の中の1つと言われ、皇室の庭園博物館とも呼ばれています。

 観光スポット
 頤和園

By whenis , 8 11月, 2018

この駅の名前は「長椿寺」に由来しています。長椿寺は明代の皇室のお寺でした。1592年に時の皇帝、神宗帝が母親の孝定李太后の健康と長寿を願って建てたものです。「長椿」の2文字は、「長寿」の意味があるそうです。このお寺は、今は北京宣南文化博物館(地下鉄C出口より長椿街を南へ10分ほど)となり、古代文化を語り継いでいます。

 観光スポット

西便門明北北京城壁遺跡(西便门明北城墙遗址)

 1439 年に建設された城壁です。市内をぐるっと囲む城壁の南西の角の部分です。長い時間を経た今、現在も残っているのは100メートルほどのみです。敵を防ぐための楼閣は80年代に修復されたものです。

 アクセス:地下鉄A1出口出て、西へ50メートルほど。 

報国寺旧貨市場(报国寺旧货市场)

 報国寺は遼の時代に建造された古いお寺です。今はアンティーク市場として使用されています。古書、古銭、玩具や文房具類、また書に関するものが揃っています。

 アクセス:地下鉄D2出口出て、長椿街に沿って徒歩15分ほど。

 グルメ

By whenis , 6 11月, 2018

この門は元時代には「平則門」と呼ばれ、明(1439年)に阜成門と改称されました。明、清時代には門頭溝から石炭を運びこむための重要なルートでした。このため「煤門(石炭の門)」とも呼ばれました。当時、城門を取り囲む小さな城郭の中には、石炭を運ぶ商人たちの寄付金によって彫られた梅の花がありました。なぜ、梅の花が彫られたのでしょうか?石炭を表す「煤」と「梅」は、中国語では同じ発音となるためです。

 城門には、かならず大きな通りが続いています。阜成門には阜城門内大街があり、決して長くはない通りですが、北京最古の大通りです。廟やお寺、魯迅記念館など見所がたくさんある通りです。

 観光スポット

 魯迅博物館(鲁迅博物馆)

 この博物館は、1954年に魯迅の住まいだったところを拡張して造られました。1923年に魯迅が購入し、翌年の24年に自らが設計、改築した四合院で、1924年から1926年まで、ここに暮らしました。魯迅の北京生活の最後の住まいでもあります。

 アクセス:地下鉄B出口出て、阜成門北大街を北へ進み宮門口二条を右折。

 そのまま東へ進み青塔胡同を左折。

 白塔寺<妙応寺>(白塔寺)

By whenis , 3 11月, 2018

地下鉄4号線

 4号線は、北京と香港の共同投資で作られた地下鉄です。官と民がパートナーを組んで事業に取り組む(パブリックプライベートパートナーシップ)形式で建設されました。設置された24駅のうち10駅が乗り換え駅であり、北京市内西側の重要な交通手段となっています。
北京南駅駅(北京南站站)

 「駅」の文字が2つ並んでいるのは、鉄道の北京南駅の最寄駅のためです。北京南駅は北京と天津を結ぶ高速鉄道の発着駅です。2008年8月1日に運行を開始しました。そして北京と上海を結ぶ京濾高速鉄道の出発駅でもあります。現在の北京南駅は1958年に建設された永定門駅が改修されたものです。

 北京南駅からほど近い場所にあった永定門は北京の旧市街の南端の目印となった建築であり、また南の大門でもありました。明と清の時代に7つあった門の中でも最大だった永定門は1957年に取り壊されました。

 観光スポット

 北京新南駅(北京新南站)

By whenis , 1 11月, 2018

この駅は陶然亭公園のすぐそばにあります。古くから陶然亭の周りには、名勝地が数多くありました。北西には龍樹寺、東南には黒龍潭、龍王亭、刺梅園、祖園、南西には風氏園などなど。現在、陶然亭公園内には慈悲庵と呼ばれる建物があります。元代に建てられたもので観音庵とも呼ばれています。清の康煕34年(1695)に、瓦や陶器を焼く工場がつくられ、この時、慈悲庵の西部に小さなあずま屋がつくられました。このあずま屋には、白居易の詩からとった「陶然」の2文字が与えられました。そして1952年に陶然亭公園が完成し、古代建築と現代の造園芸術が一体となった新型都市園林となりました。 

観光スポット

陶然亭公園(陶然亭公园)

 公園には、3つの湖と7つの丘があり、自然豊かな趣がある公園です。公園内は慈悲庵をはじめとして、雲絵楼や華夏名亭など中国の伝統的な風景を楽しめるスポットがあります。

入園料:2元/人 入園時間:6:00~21:30

アクセス:陶然亭駅を出て、自新路東口駅から613番バスに乗車。太平駅下車。

徒歩70メートル。

黒窯廠通り(黑窑厂街)

By whenis , 30 10月, 2018

清代末、このあたりは賑やかな繁華街でもありましたが、同時に北京の刑場でもありました。繁華街の中に刑場があるのは、中国では古くから見られるもので、刑の執行を民衆に示す効果は大きいものでした。この刑場は、今日の鉄門胡同のやや南西よりの通りにありました。

 清朝が鉄道を再建する前に、ほかの省からやってきた人たちが北京に入るためのルートは2つあり、1つは京杭大運河に沿った通州を通る道、1つは盧溝橋を通り、広安門から入る道です。広安門をくぐると、そこが菜市口で、この一帯には各省や各県が建てた集会所や商家が立ち並び、明清時代の重要な商業拠点でした。

 菜市口の駅から半径2キロ内には、文化的価値のある古い建物が数多くあります。徐旧居、南海会館、紹興会館、京報館など。菜市口の刑場の真向かいにある薬局の鶴年堂は長い歴史をもった老舗で、「先に鶴年堂ができ、それから菜市口ができた」という言葉もあります。1899年夏、金石学と古文字学の研究者が鶴年堂で薬を調合してもらったことがきっかけで、甲骨文字が発見されました。

 観光スポット

 中山会館(中山会馆)