By whenis , 14 5月, 2016

凹造型(āo zào xíng)

「凹」はくぼむ、へこむ。「造型」はスタイリング。「凹造型」でポーズを取る、恰好つけること。上海方言の俗語から来た言葉で、普段の生活でも、文章を書く時も、何かをする時も、格好をつけ、他人との違いをわざと示すことを風刺する言葉。

2006年に、エディターの洪晃さんが「80後」の代表者、作家でレースサーの韓寒さんともう一人のブログの書き手をからかう時に使われ、流行語になった。

「80後」はこれまでの世代と違って、外見を気にするようになって、ファッションと人々の心理について一定の洞察力がある。一方で、自己中心的な面もある。つまり、目立ちたい気持ちもあり、その方法もよく分かっている。

By whenis , 13 5月, 2016

孟母三迁(mèng mǔ sān qiān)

漢字の説明

意味

「孟母」とは、孟子の母親のこと。「三遷」とは、住居を三度変えること。

日本では、「孟母三遷の教え」として知られている。

孟子の家族は、はじめ墓場の近くに住んでいた。すると、、孟子が葬式ごっこをして遊ぶので、教育によくないと市場の近くに引っ越した。今度は、孟子が商人の真似ばかりして遊ぶので、学校の近くに引っ越した。すると孟子は礼儀作法の真似ごとをするようになった。孟子の母は「この地こそ子供にふさわしい」と言って、その地に落ち着いたという故事から。

子供の教育には、よい環境を選ぶことが大事と言う意味や教育熱心な母親のたとえにもなる。

使い方

By whenis , 12 5月, 2016

この言葉は日本の漫画・アニメ『フルメタル・パニック!』に登場した言葉。架空の技術、存在しない技術のこと。中国では、それを「黑科技」と訳しされ、SF作品によく出てくるまだ世の中にはない技術、或いはそれによる製品のことを指す。この「黑科技」は科学的な根拠がないというよりも人類の常識認識ではまだ理解できないもの。で、テクノロジーとは言うがの肩書きを持っているが、魔法的な存在となるのもの。

中国では最近、あらゆる新しいハードウェア、ソフトウェア、技術、技法、工法、材料などを指すようになっている。例えば、「盘点让世界为之色变的十大黑科技(世界を驚かす10十大ブラックテクノロジーを総まとめする)」のように、使われる。

By whenis , 11 5月, 2016

作者、範成大は南宋の詩人。今の江蘇省蘇州の人。陸游や楊万里と並んで南宋を代表する詩人です。役人としていろいろな役職を歴任しました。体調不良を理由に引退し、68歳で世を去るまで蘇州郊外の石湖のほとりで悠々自適な生活を送りました。この石湖のほとりで見た風景などを詩にしているうちに、「田園雑興」というタイトルで1年間で60首になりました。これを季節ごとに「春日」「晩春」「夏日」「秋日」「冬日」の5つに分け、それぞれは12首。今日紹介したのは「夏日」のなかの9首目の作品です。1句目の黄塵、中国の土地はまさに黄土ですから、埃の色は黄色。ほこりにまみれた汗は、漿、麦の粉をといた水のよう、納得です。井香りは、香ばしい井戸水の意味ですから、作者の家には、冷たい井戸水があったのでしょう。確かに、現在、一般公開されている範成大の石湖の別荘には、清水がこんこんと湧き出ている「石湖」と名付けられた井戸があるそうです。この詩は、すごく暑い風景の描写から始まっていますが、2句目の井戸水、4句目の柳の木陰を吹き渡る涼風と読み進むうちに涼やかな気分になってきます。間もなく、暦の上では秋を迎えますが、まだまだ厳しい暑さが続きます。せめて、漢詩の世界で涼をとってください。

By whenis , 10 5月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並び称され、日本でもよく知られています。四川の人で出身地から青蓮居士(せいれんこじ)の号があります。62歳で病のために没しますが、一説には、酒に酔って船に乗っていた時、水に映る月を捕ろうとして、溺死したとも言われています。生き方と共に作品も天衣無縫でスケールの大きさを感じさせるものが多くあります。今日紹介した詩も目の前の景色をダイナミックに詩にしています。「日は香炉を照らし」、の香炉は廬山の中の香炉峰のこと。白居易の「香炉峰の雪は簾をかかげてみる」でもお馴染みかと思います。そして、清少納言の枕草子にも登場します。峰から立ち上る霧が、香炉から香の煙が立ち上っているように見えることから、この名前が付いたようです。滝の水が三千尺、1尺は30センチですから900メートルに渡って落ちる、これはもちろん実際の長さと言うより、それだけ凄いスケールだということです。李白らしさが表れている1句でもありますね。想像しただけでも涼しくなれそうです。百聞は一見にしかず。やはり実物をみてみたいですね。

By whenis , 6 5月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。豪放に生き、一説によると酒に酔って湖に映る月を捉えようとして湖に落ちて溺死したとも言われています。私はこんな風に聞き、李白は酒好きの無粋なおじさんというイメージを持っていた時期がありました。でも、いろいろ彼の作品を調べていったら、こんな藤の花を詠った詩もあります。私にとって藤は初夏の花ですが、この詩では「陽春」、春のようです。詩の中で鳥を隠してしまうほど葉が茂っているようですから、やはり初夏かなとも思います。花の咲く時期は地域や年によっても違うのでしょう。紫の藤の花が雲のような大きな木にかかっている。花が咲くではなく掛かっているというところが、藤の花の特徴をよく捉えています。密葉は密に生い茂った葉のこと。歌鳥は囀る鳥のことですが、確かに鳥の囀りは歌に例えられることが多いですね。香風、芳しい風ですが、藤の花の香りがふんわりと漂っていると言うことでしょう。そんな藤の香りは美しい人でさえ、思わず足を止めてしまうと言っています。月こそありませんが、まさに花鳥風月。目の前に情景が浮かび、香りも漂ってきそうな詩です。

By whenis , 4 5月, 2016

作者、秦観は北宋の詩人。江蘇省の人。蘇東玻の有名な4人の門下生の1人です。

暦の上で処暑も過ぎ、北京では朝晩などだいぶひんやりしてきましたが、広い中国まだ残暑の厳しいところも多いようです。熱帯夜という言葉に縁のない北京ですが、南の方はそういう訳にはいきません。エアコンなどの無かった昔は、夜涼みに散策にでかけたのでしょう。柳外、柳の並木の向こう側。画橋は欄干に意匠を凝らした彫刻のある橋の事。胡牀は横になることができるくらいの長い椅子のようなもの。そこにもたれて休んでいると、目には月明かりが映り、耳には船の汽笛が聞こえ、鼻には蓮の花の香りが漂ってくる。風が止んでも、涼やかな雰囲気が漂います。まさに五感で涼を求める感じです。この詩を聞いて目に浮かぶのは、蒸し暑い夏の夜ではなく、美しい夏の夜です。

By whenis , 1 5月, 2016

广场舞(guǎng chǎng wǔ)

健康のために広場、公園などで集団で行う健康ダンス。参加者には中高年の女性が多いが、男性もいる。太極拳と同じように、皆が一人の上手な人について、音楽に合わせて踊る。音楽は太極拳と違って、民族風のディスコだったり、ダンスに合うポピュラーソングだったりして、地域や時期によって異なる。ダンスと言っても、健康志向的なものなので、体操とダンスの間にある。

1990年代に入ってから県クラス以上の都市では、インフラ施設として多くの広場ができた。そもそも中国では、朝食前の運動のほかに、夕食後にも散歩する習慣がある。その散歩が今の「广场舞」に代わっている。

しかし、人々のライフスタイルも変わってきて、「广场舞」の音楽がうるさい、やめて欲しい人と感じる人も出てきた。騒音とみなされ罰金を払わされた事例もある。健康のためとはいえ他人の生活を邪魔するのはよくないので、適切な場所や時間帯を選んで、音量を最低限にすることが必要。

By whenis , 1 5月, 2016

作者、李賀は中唐の詩人。役人としては下級で失意のうちにわずか27歳の若さで他界してしまいます。今日紹介した詩でもわかるように今までの詩とはだいぶ雰囲気が違います。幻想的で色を意識した詩を多く作り死後は「鬼才」と称せられました。好き嫌いの分かれる作風かもしれません。日本では、芥川龍之介がこの李賀のファンだったと言います。この詩は「桐風心を驚かし」で始まっていますが、前回も取り上げた「秋来ぬと 目にはさやかにみえねども風の音にぞ驚かれぬる」と同じですね。秋の訪れは、日本も中国も吹く風によって知り、秋が来たことで誰もがなんだか寂しくなるようです。絡緯はキリギリスの一種。寒素は白い布のことですが冷たい感じの月光を形容ています。青簡は書物のこと、花蟲は紙魚、本の虫ですね。

鮑家は六朝の詩人、鮑照のことを言っています。白、青、血の赤、碧玉の緑と色彩あふれるのも李賀の詩の特徴がよく表れています。私がユニークに思ったのは、「腸応に直なるべし」寂しいむなしい思いを腸が伸びて死んでしまうという部分です。断腸の思いというのは聞いたことがありますが、腸が伸びるという発想は確かに「天才」ではなく「鬼才」と呼ばれるのにふさわしいと思います。

By whenis , 29 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。唐の文化の爛熟期に生まれています。豪放に生き、酒が好きだったといわれているせいでしょうか、日本では「李白」と言う名前をつけたバーや酒屋さんも珍しくありません。今日紹介した作品は、李白が55歳の時のものです。たくさんの詩を残した李白は、友人を見送る詩も多く有ります。私は、この時期の「煙花三月 揚州に下る」の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」が好きです。だいたいは、李白が友人を見送る詩ですが、この詩は珍しく逆で、李白が見送られる側になっています。タイトルの王倫は、安徽省涇県(あんきしょうけいけん)の桃花潭の村人でしばしば李白に酒をもてなした人です。踏歌は、手をつないで足を踏みならしてうたう歌のこと。李白の出発に際して、村人たちも見送りに来たのでしょう。「桃花潭水」の桃花潭は、安徽省涇県にある渕の名です。実際は曲がりくねっていて、とても深さが千尺もあるようには見えませんが、そこは李白の詩の世界。千尺と言う言葉が、とてもふさわしく感じます。そもそもこれは、この渕の深さであり、二人の友情の深さです。この村で、李白は人気者だったのでしょうね。