By whenis , 6 5月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。豪放に生き、一説によると酒に酔って湖に映る月を捉えようとして湖に落ちて溺死したとも言われています。私はこんな風に聞き、李白は酒好きの無粋なおじさんというイメージを持っていた時期がありました。でも、いろいろ彼の作品を調べていったら、こんな藤の花を詠った詩もあります。私にとって藤は初夏の花ですが、この詩では「陽春」、春のようです。詩の中で鳥を隠してしまうほど葉が茂っているようですから、やはり初夏かなとも思います。花の咲く時期は地域や年によっても違うのでしょう。紫の藤の花が雲のような大きな木にかかっている。花が咲くではなく掛かっているというところが、藤の花の特徴をよく捉えています。密葉は密に生い茂った葉のこと。歌鳥は囀る鳥のことですが、確かに鳥の囀りは歌に例えられることが多いですね。香風、芳しい風ですが、藤の花の香りがふんわりと漂っていると言うことでしょう。そんな藤の香りは美しい人でさえ、思わず足を止めてしまうと言っています。月こそありませんが、まさに花鳥風月。目の前に情景が浮かび、香りも漂ってきそうな詩です。

By whenis , 4 5月, 2016

作者、秦観は北宋の詩人。江蘇省の人。蘇東玻の有名な4人の門下生の1人です。

暦の上で処暑も過ぎ、北京では朝晩などだいぶひんやりしてきましたが、広い中国まだ残暑の厳しいところも多いようです。熱帯夜という言葉に縁のない北京ですが、南の方はそういう訳にはいきません。エアコンなどの無かった昔は、夜涼みに散策にでかけたのでしょう。柳外、柳の並木の向こう側。画橋は欄干に意匠を凝らした彫刻のある橋の事。胡牀は横になることができるくらいの長い椅子のようなもの。そこにもたれて休んでいると、目には月明かりが映り、耳には船の汽笛が聞こえ、鼻には蓮の花の香りが漂ってくる。風が止んでも、涼やかな雰囲気が漂います。まさに五感で涼を求める感じです。この詩を聞いて目に浮かぶのは、蒸し暑い夏の夜ではなく、美しい夏の夜です。

By whenis , 1 5月, 2016

广场舞(guǎng chǎng wǔ)

健康のために広場、公園などで集団で行う健康ダンス。参加者には中高年の女性が多いが、男性もいる。太極拳と同じように、皆が一人の上手な人について、音楽に合わせて踊る。音楽は太極拳と違って、民族風のディスコだったり、ダンスに合うポピュラーソングだったりして、地域や時期によって異なる。ダンスと言っても、健康志向的なものなので、体操とダンスの間にある。

1990年代に入ってから県クラス以上の都市では、インフラ施設として多くの広場ができた。そもそも中国では、朝食前の運動のほかに、夕食後にも散歩する習慣がある。その散歩が今の「广场舞」に代わっている。

しかし、人々のライフスタイルも変わってきて、「广场舞」の音楽がうるさい、やめて欲しい人と感じる人も出てきた。騒音とみなされ罰金を払わされた事例もある。健康のためとはいえ他人の生活を邪魔するのはよくないので、適切な場所や時間帯を選んで、音量を最低限にすることが必要。

By whenis , 1 5月, 2016

作者、李賀は中唐の詩人。役人としては下級で失意のうちにわずか27歳の若さで他界してしまいます。今日紹介した詩でもわかるように今までの詩とはだいぶ雰囲気が違います。幻想的で色を意識した詩を多く作り死後は「鬼才」と称せられました。好き嫌いの分かれる作風かもしれません。日本では、芥川龍之介がこの李賀のファンだったと言います。この詩は「桐風心を驚かし」で始まっていますが、前回も取り上げた「秋来ぬと 目にはさやかにみえねども風の音にぞ驚かれぬる」と同じですね。秋の訪れは、日本も中国も吹く風によって知り、秋が来たことで誰もがなんだか寂しくなるようです。絡緯はキリギリスの一種。寒素は白い布のことですが冷たい感じの月光を形容ています。青簡は書物のこと、花蟲は紙魚、本の虫ですね。

鮑家は六朝の詩人、鮑照のことを言っています。白、青、血の赤、碧玉の緑と色彩あふれるのも李賀の詩の特徴がよく表れています。私がユニークに思ったのは、「腸応に直なるべし」寂しいむなしい思いを腸が伸びて死んでしまうという部分です。断腸の思いというのは聞いたことがありますが、腸が伸びるという発想は確かに「天才」ではなく「鬼才」と呼ばれるのにふさわしいと思います。

By whenis , 29 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。唐の文化の爛熟期に生まれています。豪放に生き、酒が好きだったといわれているせいでしょうか、日本では「李白」と言う名前をつけたバーや酒屋さんも珍しくありません。今日紹介した作品は、李白が55歳の時のものです。たくさんの詩を残した李白は、友人を見送る詩も多く有ります。私は、この時期の「煙花三月 揚州に下る」の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」が好きです。だいたいは、李白が友人を見送る詩ですが、この詩は珍しく逆で、李白が見送られる側になっています。タイトルの王倫は、安徽省涇県(あんきしょうけいけん)の桃花潭の村人でしばしば李白に酒をもてなした人です。踏歌は、手をつないで足を踏みならしてうたう歌のこと。李白の出発に際して、村人たちも見送りに来たのでしょう。「桃花潭水」の桃花潭は、安徽省涇県にある渕の名です。実際は曲がりくねっていて、とても深さが千尺もあるようには見えませんが、そこは李白の詩の世界。千尺と言う言葉が、とてもふさわしく感じます。そもそもこれは、この渕の深さであり、二人の友情の深さです。この村で、李白は人気者だったのでしょうね。

By whenis , 28 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。もう、何度も登場していてお馴染みかと思います。今回の詩は、李白が尊敬する南朝の詩人、謝朓(しゃちょう)の「玉階怨」を意識して作ったものです。この謝朓は名門貴族の出身で、役職を歴任しましたが、王位をめぐる政争に巻きこまれて獄死しました。タイトルの「玉階怨」は後宮の宮女がなかなか来ない皇帝の訪れを待ち侘びる怨みを歌う楽曲の名前です。玉階の玉とは大理石のことですから大理石でできた階段。待ちくたびれて部屋から大理石の階段のところまで出てきたのでしょう。羅襪は絹の靴下です。夜ずっと外にいて下りた露で靴下も濡れてしまったようです。大理石の階段や絹という言葉から、豪華な宮殿にいる宮女であることがわかります。却下しては、下ろしてという意味です。簾も水晶と、やはり豪華です。玲瓏は玉のように光り輝くことです。水晶の簾越しの光と月の光、どちらも来ない人を待つ宮女の気持ちを反映してか、光なのに冷たい感じがします。そんな冷たい光の中、冴え渡る月をひとりぼんやりと見るということですね。大理石や絹、水晶と豪華なものに囲まれても一人ぼっちはさみしいもの。ましてや夏が終わってひんやりとした空気に包まれ始めた今頃は、尚更かもしれません。

By whenis , 27 4月, 2016

段子手(duàn zi shǒu)

「段子」はそもそも「相声(xiàng shēng)」中国の漫才の用語で、1つの作品の中の一節或いは一部を指す。今はその応用範囲が広くなって、中身も変わってきて「段子」はもともとの意味のほかに、ストーリーや笑い話の省略した言い方となっている。

「~手」は特殊な技能を持つ人、ある種の仕事に従事する人で、「段子手」は、つまり「段子」を書く人、書き手。「段子手」はほとんど「段子」を書くほかにも仕事があって、「段子」を書くのは作家になるための修行と考えている人もいる。

By whenis , 26 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並んで日本でもとてもよく知られています。この番組でも何作も紹介しました。それでも、いろいろ調べていくと次から次へと彼の作品が見つかります。情景が目に浮かび、気持ちも伝わってくるような詩が多いように感じます。今回の詩もそうではないでしょうか。李白が34、5歳の頃。洛陽に半年ほど滞在した時の春に作られたものです。玉笛は、文字通り玉でできた笛、つまり高級な笛です。洛城は牡丹の花で有名な洛陽のこと。折柳は折楊柳という別れの悲しみ寂しさを歌った曲のことです。柳の枝は弾力があって丸く輪のようにでき終わりがない=別れがない、しなって折れずに元に戻ることなどから、中国では昔、旅立つ人が無事に帰ってくることを祈って、柳の枝を輪にして贈ったといいます。故園は故郷のことで、故園の情とは故郷をなつかしく思う気持ちです。この作品は、故郷を遠く離れ洛陽にいた李白が夜、眠れないでいると、どこからか笛の音が聞こえてくる。その曲は別れの名曲。これを聞いて、故郷を思わない人がいるだろうか。と問われれば、いいえ、誰でも故郷のことを懐かしく思い出しますよ。と答えたくなりますよね。冬の間は、寒くて夜になると早々と布団にもぐりこんでしまいますが、いつまでも外が薄暗い春の夜は、外に出て笛を吹いたり、床につかずぼっとしていたり。現代の私たちにも充分共感できませんか。

By whenis , 25 4月, 2016

友谊的小船说翻就翻(yǒu yì de xiǎo chuán shuō fān jìu fān)

意味

「友谊」は友情、英語的に言うと、フレンドシップになる。これが「友谊的小船」、友情の小船の由来。「翻船」は船が転覆すること、「说……就……」は構文で、「…を話題として取り上げるとすぐに…」或いは「(…の動作・状態が)あっという間に…する」意味。「友谊的小船说翻就翻」、直訳すれば、友情の船はあっという間に転覆する、つまり、友情は試練に耐えられなく、すぐに終わってしまう意味になる。

由来

これは最近、ソーシャルメディアで流行っている、漫画家の喃東尼が描いた「友谊的小船」にちなんだ言葉。漫画には灰色と黄色の太ったペンギンが一隻の小船に両端にバランスを取って乗っている。そのうちの一匹が突然やせたらどうなるかという考えから「友谊的小船说翻就翻」の漫画のきっかけになったという。

この漫画によって、漫画家の「微博」のファンの数はあっという間に93万人に上った。

By whenis , 24 4月, 2016

作者、範成大は南宋の詩人。今の江蘇省蘇州の人。陸游や楊万里と並んで南宋を代表する詩人です。夏には彼の「田園雑興」の中から「夏日」を紹介しました。1年間で60首あるうちの今回は「秋日」からの作品です。晩年は蘇州郊外の石湖のほとりで悠々自適の生活を送ったといいますが、今回は、その石湖からそう遠くない太湖遊覧の詩です。秋といえば、やはり月なのでしょう。範成大も秋の田園雑興のなかで中秋の名月を取り上げています。潜夫は、水に潜るのではなく、世間から潜っている隠者のこと。作者自身を言っているのでしょう。棹を空明に入れるとありますが、本物の空ではなく、空が映っている水面に入れています。身外は身の回り、船に乗っていて水と天、空と言うことは、身の回りの全てと言うことで1句目と呼応します。太陽の光が金や赤なら、月の光は銀や白ですね。空に浮かぶ名月と水面に映る名月と存分に楽しみながら、ふとにぎやかな城内、街中のことが気になります。街中には、この月明かりが有るか無いか。物理的には同じように月の明かりが降り注いでいるでしょうが、太湖に船を浮かべて見る月の明かりとは全く違うでしょうね。