侯宝林は、1917年天津で生まれた中国漫才史上の巨匠です。
実家は暮らしに困っていたため、四歳の時に彼は叔父さんに連れられて、北京の侯家に引き取られました。継父は貝勒の屋敷でコックをしていましたが、貧乏な家でした。このため、侯宝林は幼い頃から、生活の厳しさを十分味わっていました。1929年、十一歳の侯宝林は閻沢甫先生の弟子になり、京劇の勉強を始めました。十二歳の時、漫才に興味を抱いていた侯宝林は、常宝臣先生、朱闊泉先生の弟子になって、漫才の勉強をしながら、北京の天橋や鼓楼の辺りの露店で漫才の公演をしていました。当時、伝統的に、伝統演劇の「トリ」をとるのは「太鼓」と決まっていましたが、努力の末、侯宝林の漫才はやっと伝統演劇の「トリ」をとることができるようになり、漫才界にも大いに面目を施したということです。その後、侯宝林は同じ漫才師ー郭啓儒とパートナーになり、当時の漫才の俗っぽさを排し、素朴ながら雅びな趣きのあるスタイルで評判となりました。侯宝林は伝統漫才を演じる一方、現実生活を反映する新しい漫才を数多く創作しました。

