By whenis , 20 10月, 2018

文献考証によると、魏公村は元代にはすでにあり、明、清時代そして今へと続いています。でも、明、清の時代は畏吾村と呼ばれていました。魏公村の成り立ちは、古代ウイグル人と深く関係しています。元代、フビライの腹心で丞相だった古代ウイグル人の蒙速思は、死後、現在の魏公村付近に葬られました。その後一族も同じ地に葬られ、次第にここは一族の墓地へとなり、規模が広がっていきました。やがて、その周りに古代ウイグル人が住み着き、畏吾村へとなったのです。民国時代に入り、人々の考えも変わり市内の古い呼び名も変更され、最終的に魏公村となりました。

観光スポット ーー大慧寺

 大慧寺は1513年に建てられすでに500年の歴史があります。境内には、銅製の仏像があるため、「大仏寺」とも呼ばれています。大悲殿には、明代の3大芸術があります。建築、彩色された塑像、絵画です。これらは今もなお鑑賞価値と芸術的魅力を持っています。このほか大殿の東、北、西の三方の壁に前には28体の仏教を守る神像があります。1957年に北京市の重要文化財に指定されました。

By whenis , 19 10月, 2018

中関村駅(中关村站)

 中関村という言葉を聞いて、人々が真っ先に思いつくのは、デジタル製品やハイテク企業、または中国のシリコンバレーといった類の言葉でしょう。でも中関村の名前の由来について知る人は少ないでしょう。考証によれば、明時代に源を発し、宮廷の宦官が今の中関村一帯を買い上げ、共同墓地をつくりました。明清時代に宦官は「中官」と呼ばれていたため、人々はこの墓地を「中官墳(中官の墓)」と呼びました。このほか宦官が廟や隠居のための庄園をつくり、「中官の村」と呼ばれたという説もあります。1980年10月23日に、中国科学院の研究員、陳春先氏が他に先駆けてここに民間の科学機構を設立しました。ここから「中国のシリコンバレー」と言われるようになった中関村の新しい歴史が始まったのです。

 グルメ

 中8楼

 雲南の特色を生かした料理と軽食のお店。竹に入ったお酒や、米線(米で作った面)が人気。

 場所:北京市海淀区中関村広場歩行街R17号

 焦葉(焦叶)

By whenis , 17 10月, 2018

北京大学東門駅(北京大学东门站)

 もし、歴史を遡り他の可能性を選択していたとしたら、今日の北京大学東門駅は、燕京大東門駅と呼ばれていたかもしれません。燕京大学は1919年に設立され、その前身はアメリカ教会が北京に設立した3つの教会学校でした。匯文大学、華北協和女子大学、通州協和大学の3つの大学は1920年に合併し、燕京大学となりました。初代校長に就任したのは、南京で金陵神学院で司教を務めていたジョン・スチュワートでした。

 スチュワートは西側で調達した資金で、北京の西にあった清王朝付属の園林を買い上げました。そしてアメリカから建築家を呼び寄せ、中国で最も大きく、環境に恵まれた美しいキャンパスをつくりました。1952年に全国で学校に対する調整が行われ、燕京大学は解体、文科、理科は北京大学へ、工科は清華大学へと吸収されました。当時のキャンパスは現在の北京大学のキャンパスとなっています。

 観光スポット

By whenis , 16 10月, 2018

円明園は清の康煕46年(1707年)に建設され、円明、長春、万春の3つの園から成っていました。150年あまり続いた清王朝が創建、運営した大型の皇室庭園です。円明園は康煕帝が名づけたものです。この庭園は中国3000年の伝統的な造園を継承しており、かつヨーロッパ建築様式を吸収し、多様な風格が一体となった庭園です。「全ての造園は芸術のお手本」と称えられました。また円明園は珍しい草花や木がある庭でした。庭園内には、貴重な植物が数百万株も植えられ、円明園を目の当たりにした外国人から「庭園の中の庭園」と呼ばれていました。

 そしてここは、皇室の博物館、芸術館でもあり、多くの貴重な宝、図書、芸術の傑作が収蔵されていました。

 しかし、1860年10月6日に英仏連合軍の破壊と略奪を受け、神話のように美しかった円明園は廃墟と化しました。

観光スポット

 円明園(圆明园)

By whenis , 15 10月, 2018

現在の団結湖は50年代以前は炭鉱の坑道でした。1958年に朝陽区の行政委員会は多数の人間を動員しこの古い坑道を湖へと作り変えました。そして団結湖と命名されました。その後、湖の西部が緑地化され1981年に団結湖公園の建設が決定しました。

 1つ注意しなければならないのは、確かに地下鉄10号線の駅名はこの公園に由来していますが、実際の団結湖に行くには、その1つ南の「呼家楼」の方が便利です。実は地下鉄建設当時、この駅は「工体北路駅」と呼ばれていました。しかし、もっとぴったりの名前は「三里屯」駅です。三里屯は北京のカフェ、バー街として有名な場所で、若者と多くの外国人が訪れる人気スポットです。買い物も楽しめるこのエリアに新しく建てられたショッピングモールはユニークな外観でひときわ目立っています。

観光スポット

朝陽公園(朝阳公园)

By whenis , 14 10月, 2018

金代から清代まで、北京にはずっと「燕京八景」と呼ばれるものがありました。この八景は長い歴史の中で何度も変わりましたが、この金台夕照も八景のうちの1つでした。もともとの位置は現在の北京財富センターの側で、石碑が建っています。金台は燕の昭王の時代にはすでにありました。当時、昭王は覇者になることを願っていました。高台を設置し黄金を置き、勇猛果敢な豪傑たちを募りました。これが有名な「黄金台」です。今は豪傑たちの姿もなく、黄金の台が夕日に映える景色を再び現すこともかないませんが、この駅名には、かつてここに残された物語の片鱗を留め今に伝えています。

観光スポット

中央テレビ新社屋(中央电视台新址)

 朝陽区のビジネスセンター(CBD)の中央にあります。z型の独特な建築デザインは中国10大建築の奇跡とも言われています。

アクセス:地下鉄B出口すぐ。

世貿天階天幕(世贸天阶天幕)

By whenis , 10 10月, 2018

亮馬橋駅(亮马桥站)

 亮馬橋という名前は、東直門外を流れる1つの川に由来しています。伝えられるところによると、かつて北京にやってきた商人たちの馬車が入城するには、まず馬を洗って旅の途中でついたほこりや泥をきれいに落とさなければなりませんでした。まず商人たちはこの河で馬を洗い、川岸にある大木に馬をつなぎ、体が乾くのを待ちました。こうしてはじめて入城できるのです。このことからこの河は「晾馬河(馬を乾かす河」と呼ばれ、それがいつしか音だけが残り現在の名前となりました。また別の説もあります。明の永楽年にこの辺りに皇帝の馬苑があり、河の両岸は馬の放牧地となっていました。御馬官はいつもこの河で馬を洗い、馬の体を乾かしていたので、周辺の人々に「晾馬河」と呼ばれるようになったということです。

 現在この辺りは新たなビジネススポットとなり、かつての面影はありません。いち早く外国人にサービスを提供したエリアでもあり、今も多くの外国人が住む地域です。

 観光スポット
亮馬収蔵品市場(亮马收藏品市场)

By whenis , 8 10月, 2018

10号線は2008年の北京オリンピックの前に開通した地下鉄です。全長24.55キロメートルに22の駅があり、このうち7駅が他の地下鉄への乗り換え駅となっています。

 「北京のシリコンバレー」と呼ばれる中関村とオフィス街のCBDを直接結んでおり、ビジネスマンたちの主要な足となっています。

 蘇州街駅(苏州街站)

 歴史上、北京の西部にはあわせて3つの蘇州街と呼ばれる道があります。1つは円明園、1つは頤和園、そしてもう1つは地下鉄10号線の蘇州街です。

 この旧い街道の起源は清の乾隆年にまで遡ります。乾隆16年(1751年)、乾隆帝は江南の視察に出かけ、その母である孝聖憲皇太后もともに赴きました。60歳になる皇太后の初めての江南旅行で、その美しい景色は皇太后の心にしっかりと刻み付けられました。

By whenis , 7 10月, 2018

モスクワの地下鉄は世界で最も美しいと言われ、「地手鉄の芸術的殿堂」と称えられています。ロシアの有名な建築家が設計した駅は優雅でまるで宮殿のようです。これに比べれば北京の地下鉄はなんと味気ないことか。しかし、このオリンピック線は大きく地下鉄の概念を変えました。4.5キロのオリンピック線は地下鉄8号線の1部分で、2008年の北京オリンピック開催にあわせ建設されました。地下鉄10号線の乗換え口である北土城から出発し、森林公園のオリンピック湖の南岸を4つの駅でつなぎます。それぞれの駅には、テーマがあり中国の伝統的な青花模様やオリンピックにちなみスポーツをモチーフにしたデザインなど個性的で、見るものを驚かすことでしょう。

 この地下鉄付近にある観光スポットをまとめてご案内します。

観光スポット

オリンピック公園(奥林匹克公园)

By whenis , 5 10月, 2018

和平西橋、和平里北街、和平街北口などの名前は全てある会議に由来しています。1954年に和平里一帯に街道管理事務所が置かれることになりました。時を同じくしてアジア、太平洋地区の数十カ国が参加する「アジア太平洋地区和平会議」が北京で開催されており、管理事務所はこの会議の名前をとり、和平里街道管理事務所とされました。その後もこの一帯は開発がすすむにつれ、「和平」の二文字がよく使われるようになったのです。 

 もともとこの辺りは元大都城の北部で、今も遺跡が公園に姿を変え残っています。高校や北京化学工業大学、北京中医薬大学、北京服装学院、対外経済貿易大学など教育機関が集中し、まわりには小さな店が立ち並ぶ賑やかな場所でもあります。

観光スポット

 北京中医薬大学中医薬博物館(北京中医药大学中医药博物馆)

 1990年に建てられた博物館で又の名を「逸夫科学館」と言います。中国医学の歴史を紹介し、930件にも及ぶ医学関連文物を収蔵しています。また古代医学書籍が200冊以上、中国医学書が6000冊以上あります。鍼灸関連や少数民族の医療用具、白銅でつくられた外科用具などを見ることができます。

 アクセス:地下鉄B出口出て、三環路に沿って東へ500メートル進み、道を渡ってすぐ。