北京自来水博物館

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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自来水。何のことだか分かりますか。自分からやってくる水、水道水のことを中国ではこう呼びます。今週はこの水道にからむ博物館、北京自来水博物館を訪ねてみましょう。

 北京市内の水道水の供給は、北京市自来水集団、いわば民間の会社が受け持っています。北京市内には10カ所、郊外には8カ所の給水所があり、このうち東直門にある給水所が最も古く、ここが博物館にもなっています。

 歴史はとても新しく、展示コーナーを整えたのが2000年、一般公開が始まったのは2002年です。はじめは北京市自来水集団の従業員教育や企業宣伝の色合いが強かったそうです。本館部分の建物はドイツ人の設計によるもので、これに中国の伝統建築の手法を取り入れています。

 さて、水道の歴史は紀元前1000年、古代オリエントからギリシャ時代にさかのぼるそうです。ただ、このころは一般家庭向けではなく、浴場など公共施設向けの給水でした。16世紀末から17世紀にかけ、ロンドンやパリで普及し、アジアに入ってきたのはそのまたずっと後でした。北京では1908年、清の末期に水道事業が始まりました。それまでは井戸水が一般的でしたから、庶民は水道水のことを「洋水」と呼んだそうです。

 そして、最初は、水道管から一般家庭に入ったわけではありません。樽に詰めた水を荷車に積んで一軒一軒配達して歩いたのです。博物館には、その人夫さんの写真や、配達の契約証など貴重なものも飾られています。

 給水所があちこちに建てられたのは、実は消防防災や衛生面の対策も大きかったのです。日本で最初に水道供給が始まったのは、横浜で北京より10年ほど早かったのですが、その時も水道の普及は伝染病と防火対策が目的、と記録されています。

 もちろん、北京の水道網が整備されるのは、解放後のことです。水道メーターやポンプなどはドイツ、イギリス、日本などから導入されたもので、日本の技術がこんなところにも役立っているのです。解放直後、北京の水道管の総延長は364キロでしたが、いまは7605キロにふくれあがりました。オリンピックへの備えも着々だそうです。

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