昔、楚の国に、養由基という弓の名人がいました。柳の木から百歩ぐらい離れたところに立って矢を射ると、百発百中で柳の葉の中心を射ることができます。周りの人は皆彼を褒め称えました。
ところが、通りかかった一人が、「このぐらいで褒められるなら、私は彼に矢の射方を教えられる」と言いました。
それを聞いて、養由基は気になって、「皆は私が上手だと言っているのに、あなたはこの私に、矢の射方を教えられるなんて言っている。それなら、私の変わりに柳の葉を射るのはどうかな?」と言いました。
その人は、「私は左腕をまっすぐにして弓を持ち、右腕を曲げて弓を引き、矢を射るなど、技量を教えることはできない。しかし、あなたは、考えたことがあるか?今まで百発百中で柳の葉を射続けてきたが、息を整えることがうまくできていない。後になって疲れて、一発でも当たらなくなれば、これまでの百発百中の成果が無駄になってしまう」と話しました。
「百発百中」、言葉の意味自体はとてもお見事なものですが、この故事の中では、何かを戒めているです。故事の出典は『戦国策』です。策士、蘇厲(それい)が白起(はっき)将軍の攻撃を阻止するために、この百発百中の故事を引用したのです。