中国語講座

新入門編は初めて中国語を学ぶ方やもう一度基本からはじめたい方へ、応用編は中国文化をより深く理解し中国語を身につけたい方へ、役立つ内容をめざしています。

By whenis , 29 6月, 2016

实力打脸(shí lì dǎ liǎn)

意味

「实力」は実力、事実

「打脸」は恥をかく 恥をかかせる

「实力打脸」で実力或いは事実で相手に恥をかかせる

或いは実力や事実によって恥をかく。

使い方

考试成绩完全实力打脸。

試験の成績は完全に恥をかかせるものだ。

=出来が悪かった

By whenis , 26 6月, 2016

作者、王維は盛唐の詩人。現在の山西省の人。詩だけでなく画、書、音楽にも長けていました。31歳の時に長安の東南約50キロの山奥にある「輞川荘」という別荘を購入します。そこで、友人の裴迪(はいてき)と別荘内の景勝を詠んだ詩が『輞川集』(もうせんしゅう)と言う名前で、まとめられています。今日の詩は、その別荘のほぼ中央にある欹湖(いこ)の岸辺の水の上に建っている建物「臨湖亭」が、詩のタイトルです。軽舸は船のことで、船でお客さんを臨湖亭に招いたようです。上客、大切なお客さんなのでしょう。軒は日本語なら軒(のき)ですが、ここでは、窓の手すり。お客さんをお酒でもてなす。湖上にある臨湖亭から周りを見回すと四面、つまり辺り一面、芙蓉が開いていると詠っています。当時、芙蓉は蓮の花を指しました。大切なというか、大好きな人をお客さんとして迎えて、湖上でお酒を楽しむ。辺りは満開の蓮の花。湖を渡る涼やかな風と、王維のうれしい気持ちが伝わってきます。

By whenis , 20 6月, 2016

者、白居易は中唐の詩人。白楽天の名前でも知られています。現在の河南省新鄭の人。今日紹介した詩は、彼が若い頃、江州の郡守をしていた時、招賢寺というお寺を訪れた時に作られたと言われています。僧侶が名前の分からない紫色の美しい花を白居易に紹介した時に、この詩を僧侶に与えたようです。白居易が花に名前を付けてあげるなんて、よほどこの花に魅了されたのでしょう。ただ、ここで言う紫陽花は、私たちが今呼んでいる紫陽花とは違う花ではないかと言う説もあります。白居易がこの時に魅了された花は、「紫色で、」と言うところまでは今の紫陽花に重なりますが、非常によい香りだったと言いますから、どうもライラックではないかと見られています。当時はネットも写真もなかった訳ですから取り違えもあったでしょう。仙壇は仙人の住む場所。梵家は仏教関連の家と言うことでお寺です。この他は、比較的分かりやすい詩ではないでしょうか。取り違えがあったにしろ、花に名前を付けてあげるなんて、流石に名詩人。ロマンチックですね。

By whenis , 24 5月, 2016

作者、司馬光は北宋の詩人。政治家、歴史家としても有名です。現在の山西省の人。王安石や蘇軾の師でもありますが、王安石の新法には反対して、野に下り洛陽で15年間隠居しました。この時に歴史書を著しました。今日の詩もこの隠居中の洛陽で書かれたようです。中国の旧暦では、4月、5月、6月が夏です。今の暦なら5月、6月、7月に当たります。タイトルの初夏は旧暦4月、今なら5月のことです。清和は清清しくさわやかなこと。「戸に当たって」は、家の戸口からの意味です。3句目は、北京に暮らすと非常に共感できます。春の間、激しく柳絮が飛ぶのですが、これが収まると季節が夏になったなぁと感じます。この白くふわふわした柳絮に対して、すっと真っ直ぐ伸びるタチアオイの花が登場して、この詩が終わります。初夏と言うタイトルで、いきなり4月、から始まり日本人には、あれ?と思ってしまうかもしれませんが、それ以外は初夏の瑞々しい情景がクッキリと目に浮かぶわかりやすい詩です。

By whenis , 11 5月, 2016

作者、範成大は南宋の詩人。今の江蘇省蘇州の人。陸游や楊万里と並んで南宋を代表する詩人です。役人としていろいろな役職を歴任しました。体調不良を理由に引退し、68歳で世を去るまで蘇州郊外の石湖のほとりで悠々自適な生活を送りました。この石湖のほとりで見た風景などを詩にしているうちに、「田園雑興」というタイトルで1年間で60首になりました。これを季節ごとに「春日」「晩春」「夏日」「秋日」「冬日」の5つに分け、それぞれは12首。今日紹介したのは「夏日」のなかの9首目の作品です。1句目の黄塵、中国の土地はまさに黄土ですから、埃の色は黄色。ほこりにまみれた汗は、漿、麦の粉をといた水のよう、納得です。井香りは、香ばしい井戸水の意味ですから、作者の家には、冷たい井戸水があったのでしょう。確かに、現在、一般公開されている範成大の石湖の別荘には、清水がこんこんと湧き出ている「石湖」と名付けられた井戸があるそうです。この詩は、すごく暑い風景の描写から始まっていますが、2句目の井戸水、4句目の柳の木陰を吹き渡る涼風と読み進むうちに涼やかな気分になってきます。間もなく、暦の上では秋を迎えますが、まだまだ厳しい暑さが続きます。せめて、漢詩の世界で涼をとってください。

By whenis , 10 5月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。杜甫と並び称され、日本でもよく知られています。四川の人で出身地から青蓮居士(せいれんこじ)の号があります。62歳で病のために没しますが、一説には、酒に酔って船に乗っていた時、水に映る月を捕ろうとして、溺死したとも言われています。生き方と共に作品も天衣無縫でスケールの大きさを感じさせるものが多くあります。今日紹介した詩も目の前の景色をダイナミックに詩にしています。「日は香炉を照らし」、の香炉は廬山の中の香炉峰のこと。白居易の「香炉峰の雪は簾をかかげてみる」でもお馴染みかと思います。そして、清少納言の枕草子にも登場します。峰から立ち上る霧が、香炉から香の煙が立ち上っているように見えることから、この名前が付いたようです。滝の水が三千尺、1尺は30センチですから900メートルに渡って落ちる、これはもちろん実際の長さと言うより、それだけ凄いスケールだということです。李白らしさが表れている1句でもありますね。想像しただけでも涼しくなれそうです。百聞は一見にしかず。やはり実物をみてみたいですね。

By whenis , 6 5月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。豪放に生き、一説によると酒に酔って湖に映る月を捉えようとして湖に落ちて溺死したとも言われています。私はこんな風に聞き、李白は酒好きの無粋なおじさんというイメージを持っていた時期がありました。でも、いろいろ彼の作品を調べていったら、こんな藤の花を詠った詩もあります。私にとって藤は初夏の花ですが、この詩では「陽春」、春のようです。詩の中で鳥を隠してしまうほど葉が茂っているようですから、やはり初夏かなとも思います。花の咲く時期は地域や年によっても違うのでしょう。紫の藤の花が雲のような大きな木にかかっている。花が咲くではなく掛かっているというところが、藤の花の特徴をよく捉えています。密葉は密に生い茂った葉のこと。歌鳥は囀る鳥のことですが、確かに鳥の囀りは歌に例えられることが多いですね。香風、芳しい風ですが、藤の花の香りがふんわりと漂っていると言うことでしょう。そんな藤の香りは美しい人でさえ、思わず足を止めてしまうと言っています。月こそありませんが、まさに花鳥風月。目の前に情景が浮かび、香りも漂ってきそうな詩です。

By whenis , 4 5月, 2016

作者、秦観は北宋の詩人。江蘇省の人。蘇東玻の有名な4人の門下生の1人です。

暦の上で処暑も過ぎ、北京では朝晩などだいぶひんやりしてきましたが、広い中国まだ残暑の厳しいところも多いようです。熱帯夜という言葉に縁のない北京ですが、南の方はそういう訳にはいきません。エアコンなどの無かった昔は、夜涼みに散策にでかけたのでしょう。柳外、柳の並木の向こう側。画橋は欄干に意匠を凝らした彫刻のある橋の事。胡牀は横になることができるくらいの長い椅子のようなもの。そこにもたれて休んでいると、目には月明かりが映り、耳には船の汽笛が聞こえ、鼻には蓮の花の香りが漂ってくる。風が止んでも、涼やかな雰囲気が漂います。まさに五感で涼を求める感じです。この詩を聞いて目に浮かぶのは、蒸し暑い夏の夜ではなく、美しい夏の夜です。

By whenis , 1 5月, 2016

作者、李賀は中唐の詩人。役人としては下級で失意のうちにわずか27歳の若さで他界してしまいます。今日紹介した詩でもわかるように今までの詩とはだいぶ雰囲気が違います。幻想的で色を意識した詩を多く作り死後は「鬼才」と称せられました。好き嫌いの分かれる作風かもしれません。日本では、芥川龍之介がこの李賀のファンだったと言います。この詩は「桐風心を驚かし」で始まっていますが、前回も取り上げた「秋来ぬと 目にはさやかにみえねども風の音にぞ驚かれぬる」と同じですね。秋の訪れは、日本も中国も吹く風によって知り、秋が来たことで誰もがなんだか寂しくなるようです。絡緯はキリギリスの一種。寒素は白い布のことですが冷たい感じの月光を形容ています。青簡は書物のこと、花蟲は紙魚、本の虫ですね。

鮑家は六朝の詩人、鮑照のことを言っています。白、青、血の赤、碧玉の緑と色彩あふれるのも李賀の詩の特徴がよく表れています。私がユニークに思ったのは、「腸応に直なるべし」寂しいむなしい思いを腸が伸びて死んでしまうという部分です。断腸の思いというのは聞いたことがありますが、腸が伸びるという発想は確かに「天才」ではなく「鬼才」と呼ばれるのにふさわしいと思います。

By whenis , 29 4月, 2016

作者、李白は盛唐の詩人。唐の文化の爛熟期に生まれています。豪放に生き、酒が好きだったといわれているせいでしょうか、日本では「李白」と言う名前をつけたバーや酒屋さんも珍しくありません。今日紹介した作品は、李白が55歳の時のものです。たくさんの詩を残した李白は、友人を見送る詩も多く有ります。私は、この時期の「煙花三月 揚州に下る」の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」が好きです。だいたいは、李白が友人を見送る詩ですが、この詩は珍しく逆で、李白が見送られる側になっています。タイトルの王倫は、安徽省涇県(あんきしょうけいけん)の桃花潭の村人でしばしば李白に酒をもてなした人です。踏歌は、手をつないで足を踏みならしてうたう歌のこと。李白の出発に際して、村人たちも見送りに来たのでしょう。「桃花潭水」の桃花潭は、安徽省涇県にある渕の名です。実際は曲がりくねっていて、とても深さが千尺もあるようには見えませんが、そこは李白の詩の世界。千尺と言う言葉が、とてもふさわしく感じます。そもそもこれは、この渕の深さであり、二人の友情の深さです。この村で、李白は人気者だったのでしょうね。