郭沫若は中国近代の詩人、歴史学者、劇作家、古文字学者

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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1928年から日本に住み、中国古代史と古文字学の研究に打ち込みつつ、若者達の日本留学と中国文芸界の革命文学活動を積極的に支持。抗日戦争勃発後は中国に帰り、"抗日救亡運動"に加わりました。中国共産党の指導の下で《救亡日報》を編集し、その間、軍事委員会政治部第三庁長、文化工作委員会主任を歴任しました。そして国民党統治区の進歩文化人と団結して、抗日宣伝工作を展開しました。この時期、多くの史劇と詩を著し、国民党統治の暗黒面を明るみにして、人民を励ましました。

抗日戦争勝利後は、民主運動の最前線に立ち、国民党と真っ向から対立する闘争へと進みました。1948年東北解放区に赴き、その後、1949年2月に北京へ。

新中国建国後、継続して著作に従事し、多くの詩、歴史、考古著作を発表しました。同時に政府や科学文化教育、国際交流等において、指導的立場を担い、中央人民政府委員、政務院副総理兼文化教育委員会主任、中国科学院院長、中国科学院哲学社会科学部主任、歴史研究所第一所所長、中国科技大学校長等の職を歴任。さらに、中共九,十、十一期中央委員、第一期から第五期までの全国人大副委員長、第二,三,五期全国政協副主席に選ばれました。

六十数年もの間で、哲学・社会科学の多くの領域、文学、芸術、哲学、歴史学、考古学、甲骨文、金文研究およびマルクス主義理論などの著作、そして外国の優れた作品を翻訳紹介するなど、各方面において、多大なる功績を残しました。

1892年、四川省楽山に生まれ、嘉定高等小学、嘉定中学堂、成都高等学堂の分校中学で学びました。1914年、日本に渡り、東京第一高等学校、岡山第六高等学校、九州帝国大学医学部に留学。1918年に新しい詩の創作をはじめ、1919年の五四運動勃発後、同級生とともに「夏社」を組織して、初期の文学活動を開始しました。1921年、郁達夫、張資平等と文学団体創造社を結成し、同年、詩集《女神》を出版。1923年春、大学を卒業し帰国後、《創造周報》、《創造日》の編集の仕事に就き、詩集《星空》等を出版しました。1924年、再度、日本に赴き、河上肇の《社会組織と社会革命》を翻訳して、マルクス主義の影響を受けました。同年帰国。 

1926年、広東中山大学文学院学長に就任しましたが、この時期、「無産階級革命文学」の主張を提起しました。そして間もなく、北伐戦争に参加し、国民革命軍総政治部副主任に任じられました。そして、1927年3月《請看今日之蒋介石》を発表。これは人々に大きな影響を及ぼしたのです。同年、"南昌蜂起"に参加。そして蜂起軍南下の途中に、中国共産党に入党しました。 

郭沫若(1892ー1978)は中国近代の詩人、歴史学者、劇作家、古文字学者です。 

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