中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

思い邪なし~『詩経』

「古典エナジー」、今回は中国最古の詩集、「詩経」をご紹介します。

 儒教一色だった古代中国では、知識人たちが受験のために勉強しなければならない基礎知識が「五経」という五つの経典のようなものでした。その一つが、詩経です。「詩経」が記された時期は、だいたい西周の初期、すなわち、紀元前11世紀から、春秋時代の半ば、紀元前6世紀に至るまで、約500年間と推測されています。 詩歌305首収められていますので、よく大まかな数字で「詩3百」と呼ばれます。「風」、「雅(が)」、「頌(しょう)」の3部から構成されています。分かりやすく説明しますと、風は諸国の民謡、雅は宮廷の歌、頌は祭礼の歌です。詩経に載っている詩は、もともとリズムをつけて歌うことができるし、振りを付ければ、踊ることもできます。孔子は305首を全部弦楽器で演奏しながら歌ったことがあるそうです。詩経は漢詩の源、大元になるものです。後に中国で盛んになった唐詩や宋詞なども、韻律ということにとてもこだわり、まるで歌うように詠んでいました。

『史記・項羽本紀』④~垓下の戦いと覇王別姫~

垓下の戦いは、紀元前202年に項羽の楚軍と劉邦の漢軍との間で、垓下(現在の安徽省蚌埠市固鎮県)を中心に行われた戦いです。この戦いで項羽が死んだことによって、劉邦の勝利が決定し、楚漢戦争が終結しました。

 まず、垓下の戦いまでの流れを簡単にご紹介します。

 紀元前203年、長く対峙していた楚漢両軍であったが、楚軍は食糧不足、漢軍は劉邦の負傷や劉邦の父・劉太公が楚軍に捕らわれていたことなどもあり、両軍とも戦いを止めることを願うようになっていました。そこで、漢軍から弁士・侯公が楚軍へ使者として送られ、天下を二分することで盟約が結ばれました。

中国古代最長の叙事詩~孔雀東南飛①

中国の漢の末期、200年ごろ、現在の安徽省にあたる廬江郡の役所に焦仲卿という下級役人がいました。妻の劉蘭芝とは、とても夫婦仲がいいのですが、焦の母親はこの嫁を気に入らず、実家に追い返してしまいました。実家に戻って嫁の劉蘭芝は再婚はしないと決意しました。しかし、家族に再婚を強要され、結局、川に飛び込み自殺してしまいました。夫の焦はそれを聞いて、庭の木に首を吊り、後を追いました。当時の人はこの悲しい話を聞き、詩として書き残しました。詩のタイトルは「孔雀東南飛(孔雀が南東に向かって飛んでいく)です。

 孔雀が南東に向かって飛んでいます。少し飛んではさまよっています。

中国の叙事詩『孔雀東南飛』②

中国の漢の末期、200年ごろ、現在の安徽省にあたる廬江郡の役所に焦仲卿という下級役人がいました。妻の劉蘭芝とは、とても夫婦仲がいいのですが、焦の母親はこの嫁を気に入らず、実家に追い返してしまいました。実家に戻っても嫁の劉蘭芝は再婚はしないと決意しました。しかし、家族に再婚を強要され、結局、川に飛び込み自殺してしまいました。夫の焦はそれを聞いて、庭の木に首を吊り、後を追いました。当時の人はこの悲しい話を聞き、詩として書き残しました。詩のタイトルは「孔雀東南飛(孔雀が南東に向かって飛んでいく)です。

 「古典エナジー」、今回は、前回に続き、中国古代叙事詩の名作「孔雀東南飛」をお届けします。前回は聡明で勤勉なお嫁さん劉蘭芝は、姑とは上手くいかず、いざこざが絶えませんでした。夫、焦仲卿は間に入るのですがうまく行きません。逆に自分の母親から新しい女性を紹介してあげるから、その嫁とさっさと別れなさいと、強く求められます。劉蘭芝は余儀なく夫や小姑と別れ、実家に戻りました。夫婦二人は愛を絶対裏切らないと誓い、別れました。前回の番組では、ここまでご紹介しました。今回はその続きをお届けします。

 実家に戻った劉蘭芝は、夫の家から追い出された訳ですから、とても恥ずかしい思いです。劉蘭芝の母親は娘が帰ってきたのを見て、驚きました。両手を叩き、こんな風に言いました。

老子に教えられた成功の道

「古典エナジー」、前回は、「老子を知ろう」というタイトルで、老子の生い立ちなどをご紹介しました。今回は「老子に教えられた成功の道」をテーマにしたいと思います。

 成功、出世というものは誰でも望むことですね。もちろん、人によって成功や出世というものの理解が異なりますが、人生にとって永遠のテーマだということは、間違いないでしょう。清の時代の学者、魏源は老子の「道徳経」を解説する本を書いたことがあります。「道徳経」は「救世の書」と称えました。「救世の書」、つまり世界を救う本という事ですから、角度を変えて見ると、人々の成功を指導してくれる本でもありますね。

ぼんやりとした成功の道

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