中国茶の歴史

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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中国茶の歴史

中国語 フレーズ・例文を探す 就要放假了。

就要放假了。

Jiùyào fàng jià le.
もうすぐ休みになります
“就要”は「もうすぐ」「まもなく」という意味で、文末に“了”を伴って「もうすぐ~する/なる」という文を作ることができます。近い未来に発生することを表すには、“就要~了”の他に“要~了”(そろそろ~する/なる)という言い方もあります。

我把手机放在书包里了。

Wǒ bǎ shǒujī fàngzài shūbāo li le.
私は携帯電話をかばんに入れました
前置詞“把”を使って目的語を動詞の前に持ってくることによって、その目的語を移動させたり、目的語に処理を加えたり、何かの結果を生じさせたりすることを強調することができます。“把”を使う構文では、動詞の部分には補語や助詞“了”など何らかの付加成分が必要になり、目的語は話し手と聞き手の双方が何を指しているかわかっている、特定のものである必要があります。

「君子に九思あり」―完璧な人格を磨こう

仕事のことや、恋、家族などで、あなたは人生の迷路に迷い込んだことがありますか?そんな時に、

 (人之初,性本善。性相近,习相远。子曰:有朋自远方来,不亦乐乎?人不知而不韫,不亦君子乎?。。。天行健,君子以自强不息。)暗闇を灯してくれる明かりがあります。先人の知恵を借りて、新鮮なエナジーでリフレッシュしてみませんか?

 NIHAO!ご機嫌いかがでしょうか。4月からスタートする新しい番組「古典エナジー」、担当はわたくし、周莉です。

 中国は5000年の歴史があります。歴史に生きる先人は数え切れない書物を残し、その思想の真髄を私たちが今でも引き継いでいます。また、いつか知らないうちに、私たちに忘れられた宝もいっぱいあります。この番組では、今でも活用できるそんな先人の知恵をもう一度掘り出して、皆さんと一緒に★みたいと思います。

 番組は二つのコーナーで構成します。パート1は、「古典サプリメント」と名づけました。毎回、1つのテーマを決め、古典の教えを皆さんと共有したいと思います。

 そして、パート2では、パート1で取り上げたテーマをめぐって、現代人の視点で見直し、いろいろ雑談をします。

孔子とそのもっとも有名な3人の弟子②

子路

 孔子の弟子たちは、「仁」や「孝行」、「政治」、「言語」など、人によってそれぞれ長けたところが異なります。子路が政界で活躍していた人物の一人です。子路は姓は仲、名は由(ゆう)、字は子路といいます。また、別の字は季路ともいいます。孔子より9歳年下です。孔子に最も愛された弟子が顔回というなら、最も可愛がられたのはこちら、子路です。子路の生活を名詞や形容詞でまとめて見ますと、勇敢や単純、一本気などでしょう。

 子路は貧しい家に生まれ、若いころは町の暴れん坊でした。孔子と始めて会った時、剣を使い暴力を振舞ったと言われています。孔子は礼儀で子路を感動させました。その後、子路は孔子のそばでボディーガード的な役割を果たしていました。儒家である孔子派の中で異色な存在ですね。愉快な豪傑って感じでしょうか。子路が一番早く孔子についた人間ですから、弟子といっても実は孔子の親友のような存在でもあります。孔子にはよく叱られますが、逆に孔子に対してずけずけとものを言ったり、言葉を返したりしたことがあります。

指鹿為馬

栄華を極めた後、不老不死の霊薬を求めた秦の始皇帝も、結局寿命に勝てず、紀元前210年、ついに死去しました。遺言では、太子の扶蘇を位につけよということでしたが、丞相(じょうしょう)の李斯や側近の宦官(かんがん)趙高などは、自らの利益を守るため、賢い太子扶蘇のかわりに、始皇帝の遺言を偽り、幼い子の胡亥を立てて皇帝にしました。秦二世です。

 その後、趙高は競争者の李斯も殺し、丞相の座にのし上がり、実権を握るようになりました。それでも、趙高は満足が行かず、皇帝の胡亥に取って代わろうと企むまでになりました。ただ、そのためには、宮廷の大臣のうち、どのぐらいの人が自分の言いなりにするか、また、どのぐらいの人が反対するかを確かめなければなりません。すると、趙高はまことに奇態なテストを考え出しました。これによって、自分の威信を試すと同時に、自分に従わない人を明らかにできます。

 ある日、趙高は鹿を二世皇帝にたてまつり、笑いながらこう言いました。

「陛下、いい馬を献上いたします」

 二世はそれを見たら、ぷっと笑い出しました。

 「いやいや、丞相は間違ってるぞ。鹿だろ?」

 それでも、趙高は顔色を変えず、平気にこう言いました。

青は藍より出でて藍より青し

――学生時代デキの悪かった人が教師になってもいいの?

 "青出于藍而勝于藍"「 青は藍より出でて藍より青し」

 この言葉は、今から2000年前に、中国の戦国時代の思想家、荀子(じゅんし)が学問の重要性を説明するために使った言葉です。青色の染料は藍(あい)という草から作られますが、その色は藍という草の色よりもさらに青い。つまり、もとになった物よりも、それからできた物の方が優れている。学問も積み重ねによって、さらに発展するということを表します。

 そのほかにも、中国ではこれと似たような意味を表す言葉が多くあります。

 "教学相長"「教学あいちょうず」。人に教えることと、人から学ぶことは、互いに作用しあうという意味です。

 また、唐の時代の有名な文学者・思想家、韓愈(かんゆ)がこんな話を語ったことがあります。"弟子不必不如師,師不必賢于弟子。"「弟子が師に及ばないとは限らないし、師が弟子よりもすぐれているとは限らない。」

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