北京地下鉄のたびー新街口駅(新街口站)

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

スポンサー

新街口駅(新街口站)

1953年に出版された『宛署雑記』に「新街口」という地名が初めて出てきます。「新しく開かれた町」という意味でこの名がつけられました。ここはT字路になっており、西を向けば、西直門の牌楼、北を向けば高くそびえた北城の壁が見え、そして南には西四の牌楼がありました。新街口は、南北を結ぶ大運河の終点であった積水潭、また護国寺にも近いため、繁栄した場所でした。西単、前門の賑やかさには及びませんが、商店が立ち並び、人々が集まる場所でした。現在の新街口も道の両側に小さい店が立ち並び、特に楽器店が多いのが特徴です。

 観光スポット

 蔡鍔旧居(蔡锷故居)

棉花胡同66号にある四合院は、見たところ他の四合院と何ら変わることのない一般的な住宅です。しかし、一般には見られない一つの札が掲げられています。ここは重要文化財ではありませんが、ここは名将と言われた蔡鍔(18821916)が、かつて袁世凱により2年間、軟禁されていた場所です。昔ながらの北京の風景の中に、歴史上の逸話が秘められています。

 鄭和旧居(郑和故居)

蔡鍔旧居のある棉花胡同の北側に、三不老胡同があります。清代に書かれた『乾隆京城全図』によれば、"三伯老胡同"と呼ばれていたことがわかります。さらに明代には、"三保老爹胡同"と言う名前でした。伝えられている話によると、ここには、明代の武将で、7回もの大航海を指揮した人物、鄭和が住んでいた地だそうです。"三保"とは鄭和のことを指し、"老爹"とは、当時権力を持った人や年長者を敬う尊称です。当時の人々はいかに鄭和を尊敬していたかが伺えます。

 八道湾胡同11号院(八道湾胡同十一号院)

1912年に魯迅は北京にやって来ました。しばらくは紹興会館に腰を落ち着けましたが、1918年に八道湾胡同11号院を購入しました。ここは紹興にある自宅を除き、魯迅の家族や親類が集まる唯一の場所でした。当時、ここは文化サロンとしても知られ、『故郷』、『阿Q正伝』、『中国小説史略』が誕生した地でもあります。

 ショッピング

 新街口一条街

 ここは北京の大繁華街を除き、地域に密着した繁華街です。大きなビルやデパートなどはありませんが、道の両脇には、個性的なお店が立ち並び、見るだけでも楽しめます。特に楽器店や、音楽関連の店が多く、音楽好きの若者が集まります。手軽に食べられる軽食を売るお店も多く、北京らしい生活が感じられる場所です。

スポンサー