北京新文化運動記念館

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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北大といえば、清華大学、上海の復旦大学とともに、中国最難関の大学です。円明園の南、中関村の一画を占める広大なキャンパスは、多くの人を引きつけています。その北大の発祥地となった建物が今も残り、北京新文化運動記念館として一般公開されています。

 天安門広場側から故宮に入り、北門を出ると景山公園、北海公園の散策路になります。この道を東の方へ歩くこと10分、赤いレンガ色の4階建ての建物が見えてきます。通りの名は「五四大街」。歴史に名が残る「五四運動」にちなんでつけられた名前です。これは第1次世界大戦後に結ばれたベルサイユ講和条約に対し、1919年5月4日、学生たちが天安門広場で反対運動に立ち上がったことによります。この「五四運動」は青年たちの愛国運動として、中国では重要な教育の柱になっています。

 もう少し歴史をさかのぼれば、1910年代に「新文化運動」という文化啓蒙運動がおきました。科学や民主の重視、文学改革など当時の遅れた社会に反旗をひるがえすものでした。陳独秀、魯迅、周作人といった人たちがリーダーに名を連ね、『新青年』などの雑誌の創刊も相次ぎました。

 その運動の拠点となったのが、この記念館です。北大は1898年の清代に京師大学堂として設けられました。1912年に国立北京大学となり、建物は「紅楼」、つまり赤いビルと呼ばれました。「紅楼」は文学系の授業の使われ、学生の宿舎もこの中にありました。北京の地図には、いまなお「紅楼」と表示されているものもありますが、記念館として一般公開が始まったのは2002年4月からです。

 中は新文化運動や五四運動の紹介、創刊された雑誌の展示室などがあります。当時の教室はそのままで、黒板や椅子も残っています。北大の学生ばかりでなく、いわばもぐりの聴講生も数多くいて、学問への熱意に押されて学校側も大目に見ていたようです。

 新聞閲覧室に入ってみましょう。活字をむさぶるように読んでいた若者たちの姿が目に浮かびます。

 ここで、毛沢東主席がアルバイトをしていた時代があります。受付係で、彼が座っていた横長の黒い机もそのまま。貧乏学生だった毛沢東主席の当時の給料は8元でした。

 経済の発展にばかり目が向けられがちですが、副館長の郭俊英さんは、「文化や歴史にも関心を向けなければならない」といいます。同感です。

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