中国古代の試験

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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科挙試験は、封建時代に朝廷が設置した官吏登用の試験で、隋朝時代に開始され、明清時代まで実施されました。明清時代を例に挙げてみますと、科挙試験は、主に下記数種類の内容が含まれます。

童生試:

童生試、つまり童生試験は、現在の入学試験に似ており、年齢の大小に関わらず、試験応募者はすべて“童生”と呼ばれました。そのため、“童生試”と称されるのです。それには、県試・府試・院試の三つの段階が含まれます。その内、主な試験は県試です。県試は各県の長官が主宰し、試験に合格すると“生員”の資格を獲得します。“生員”とは、いわゆる“秀才”のことです。

郷試:

郷試は“生員”の資格を獲得した人が参加する試験です。この試験は各省省都(あるいは都城)で3年に1度、実施されます。ほとんど秋に実施されるので、“秋試”(秋季試験)とも称されます。合格者は“挙人”と称されます。すなわち“中挙”です。

会試:

会試は、各省の“挙人”が都城に集まって参加する試験です。この試験も3年に1度、実施されます。ほとんど春に実施されるので、“春試”(春季試験)とも称されます。合格者は“貢生”と称されます。“貢生”とは、合格者はすでに人材であり、皇帝の選出に提供する“生員”であり、まもなく仕官するという意味です。

殿試:

“貢生”の資格を獲得した応募者が、都城に赴いて参加する試験です、朝廷の宮殿で実施され、皇帝が自ら出題するため、“殿試”と称されるのです。試験によって採用される人数は非常に少なく、一甲・二甲・三甲の上位3名に限られました。一甲・二甲・三甲の上位3名に入選した者は、すべて“進士”と称されます。その内、一甲第1位は“状元”で、“殿元”または“鼎元”と称されました。一甲第2位は“榜眼”、 一甲第3位は“探花”と称されました。清朝時代は殿試の後で、進士に対して再度の“朝考”(朝廷試験)を実施し、朝廷の大臣を派遣して試験の答案を調べさせました。その後で、殿試の順位と朝考の成績に基づいて、皇帝がそれぞれ官職を授けました。すなわち、進士に合格すると朝廷の官員になることができたのです。

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