2008年中国の祭日とその伝統飲食

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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2008年から、中国は伝統「節日」(祭り)の「清明節」、「端午節」、「中秋節」が国の休日となった。ここで、この三つの祭日とその伝統飲食を紹介する。

「清明節」――旧暦4月5日
清明(せいめい)は、二十四節気の1つ。4月5日ごろ。および、この日から穀雨までの期間。中国で清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。『白蛇伝』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香りと甘みがあり、高級とされている。

卵・青団
清明節には、卵や粽であったり、地域によって様々ですが、上海近辺では「青団」という餡子が入った緑色の餅を食べる習慣もある。清明節の前後、女性達は野良で自生する野菜を取って、餃子や、饅頭の餡にする。新鮮で、美味しいものである。

「端午節」----旧暦5月5日
端午は陰暦五月五日にあたり、とても古い祭日である。「端午」は最初は「端五」と呼ばれていたが、「五」と「午」が同音なため、のちに「端五」を「端午」と書くようになった。現代の有名な学者聞一多先生の考証によると、端午節の起源は、遠く屈原が生まれる以前にさかのぼり、また端午節の多くの風習が竜と関係のあることから、「端午節は……古代呉越民族――竜をトーテムとする民族が行ったトーテム祭の祭日で、略称すれば竜の祭日である」という。

上述の端午節の起源にかんする説明は、もちろん一定の道理があるけれども、端午を屈原を記念する日とする見方のほうが広く伝わっていて、民間に定着したといってもいい。 二千三百年前の戦国時代に、南方の楚の国に、ひとりの愛国の詩人屈原がいた。屈原は紀元前三四〇年頃に生まれたが、それは中国の社会が大きな変化を起こしている時代だった。楚国の貴族集団の腐敗ぶりに対して、屈原は内政の改革、法制の設立、賢士重用の主張をし、外交面では「連斉抗秦」をとなえた。しかし、これらの革新的な主張は上官大夫・靳尚と楚の懐王の寵姫南后・鄭袖を代表とする腐敗勢力の反対にあい、楚の懐王はざん言を信じて屈原を追放してしまった。紀元前二七八年に、秦の軍隊は郢都を攻略し、楚の国の滅亡は旦夕に迫った。六十二歳の屈原は恨みを呑んで湖南省長沙附近の汨羅河に、石を抱いて身を投じ、国に殉じた。
ちまき
米や米粉・葛粉の餅(もち)を笹や葦(あし)の葉で三角や細長い円錐状に包んで蒸したもの。旧暦5月5日端午の節句に食べる習慣は、屈原が汨羅(べきら)に入水したのを弔って、その姉が餅を投じたことから始まるという。作り方:1、米を水に浸す。前夜もち米を水で2回注ぎ使うまで水に浸しておく。10cmほど余裕を持って浸したほうがよい。2、ナツメを水に浸す。使用3時間前に準備する。水で洗ってから使うまで水に浸してもどす。3、竹の葉を煮る。竹の葉を洗い竹の葉の緑色が消えるまで煮込む。煮込んだ後はそれを取り出し使うまで冷水に浸す。4、ちまきを包む。竹の葉を取り出し水で2回注ぐ。注いだ後、竹の葉を円状に巻き、その中にもち米とナツメをいれ、三角形型になるように包んでひもで結ぶ。5、ちまきを茹でる。約1時間半茹でる。米を浸した水も使い茹でる。中国の場合は一晩かけて茹でる場合が多い。

「中秋節」----旧暦8月15日
中秋節は仲秋節とも書く。現代では1ヵ月を分けるときに「上旬」、「中旬」、「下旬」を使いますが、古代中国ではそれぞれ「孟旬」、「仲旬」、「季旬」と分けている。暦上では秋季(7~9月)の真っただ中にある8月15日を「仲秋節」または「中秋節」と呼ぶようになる。 それでは、なぜ8月15日が中国で祝われるようになったのである。中国の伝説で、その昔、とても美しい嫦娥(じょうが)という女性がいる。彼女は、弓の名人である夫が狩ってきた獲物をみんなに分け与えるなど、心優しく人望も厚い女性であった。ある日、夫から預かった仙人になれる不老不死の薬を悪者に渡さないため、自分で飲んで大空高く舞い上がってしまいましたが、夫を強く思う気持ちのため、地上に一番近い月に降り立つことができた。その日が8月15日である。その後、毎年8月15日には、彼女を愛する夫や慕う人々が彼女のために果物を供え続け、それが世間に広がって中秋節として祝われるようになる。
月餅
旧暦の 8月15日の中秋節の時、家族や親しい友人が集まり、月を愛でてこの菓子を食べる風習がある。最も有名な物は「広式」と呼ばれる広東省広州のスタイルで、柔らかめの餡や皮を用い、茹でたアヒルの鹹蛋の黄身を入れたものに人気がある。小豆餡の他、ハスの実の餡やナツメ餡なども一般的である。北方の物は、一般的に水分が少なめの餡を使い、クルミや松の実などのナッツを入れたものが多い。水分が少ない分、保存性は比較的高い。香港ではアイス月餅など、新しく作られたバリエーションが豊富である。一般的に、砂糖を多く含む他、ラードなどの油脂分も含むため、見た目以上にカロリーが高い菓子である。豆沙月餅<小豆あんの月餅>、蓮蓉月餅<蓮の実あんの月餅>、椰子月餅<ココナッツあんの月餅>、五仁甜肉月餅<木の実と肉の月餅>、百果月餅<木の実あん月餅>等たくさんの種類の月餅がある。

中国のメン
祭日は飲食文化と切り離せないものだが、中国では今、どれだけの人が「初一餃子、初二麺」(旧正月の1日にギョーザを、二日にめんを食べる)という伝統を守っているだろうか? それが明らかでないのは、人々の生活レベルが上がるにつれて、祭日のご馳走だったギョーザとめんが日常食と化しているからだ。

中国のめん類には、次のような種類がある。北京市の炸醤麺(具や味噌を混ぜるゆでうどん)、山西省の刀削麺(包丁で生地を削り、ゆでたうどん)、蘭州市の拉麺(生地を手で引きのばして作る手打ちうどん)、上海市の陽春麺(かけうどん)、陝西省のサ笆ヒ(あんかけうどん)、四川省の担担麺(辛味うどん)などだ。米粉で作っためんでは、雲南省の過橋米線(熱い鶏スープをかけたもの)がその代表格だろう。

中国の餃子
餃子(ギョウザ、ギョーザ)とは小麦粉に水を加えて薄くのばしてつくった皮で肉やエビなどで作った具を包み、茹でたり焼いたり蒸したりした食べ物である。過年のときに餃子を食べるのは粉文化を持つ北方だけだ。 以前、知り合いの上海人が生まれてこのかた、餃子なんて食べたことないと胸を張って言うのにびっくりしたことがある。ちなみに米文化の南方では、年gao(お餅)を食べる。その北方では何故、過年のときに餃子を食べるのか?餃子はその発音が交子(子を授かる)と同じであることや、清代の銀子の形に似ていることにより縁起の良い食べ物としても珍重される。また「交」には「続く、末永し」という意味もあり、春節には長寿を願い食される。それと『餃子(jiao 3 zi 0)』の発音が声調が違うのみでよく似ているので、縁起担ぎに食べるようになったそうだ。中国では豚肉、白菜、ニラなどを使った一般的なものの他に下記の様な具のものがある。牛肉、羊肉、ロバ肉、サワラ、エビ、フカヒレ、豆腐など。

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