滄海一粟

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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"滄海一粟"(そうかいのいちぞく)。海の中の一粒の粟。広大なものの中のきわめて小さいものという意味で使われます。転じて、宇宙における人間の存在のはかないことのたとえです。 その出典は蘇軾の詩、「前赤壁賦」です。

 蘇軾は、中国の宋の時代の有名な文学者です。もう一人の有名な文学者であり、政治家でもある王安石の変法に反対したため、現在の湖北省にある黄州に左遷されました。黄州では、蘇軾は2本の「赤壁賦」を書き上げました。「前赤壁賦」では、蘇軾は "寄蜉蝣于天地,渺沧海之一粟。"と詠みました。

 蘇軾は三国志のゆかりの地、赤壁・レッドクリフを訪ね、長江を眺めながら色々思ったんでしょう。「今日、私たちは赤壁を訪ねているが、昔、曹操は奇抜なヒーローだった。今、ヒーローはどこにいるのか?私たちは魚や海老、鹿などと一緒に、まるでカゲロウと同じように天地を彷徨い、広々とした海の中の一粒の粟のようだ。長江の水は尽きがないが、我々の一生はどんなに短いものだろう。」と嘆いたでしょうね。

 出世の道で挫折して、左遷させられた蘇軾は物事を少し悲観的に考えるようになったかもしれませんが、まったく間違ってはいないですね。歴史的な視点で考えますと、私たち人間は誰でも広い海の中の小さな粟であると。今、頂点に向けて登りつめたり、周りの人にちやほやされている運のいい人でも、時々自分の居場所を見直して欲しいですね。実は、あなたはそれほど大したものではないと。謙虚であることの大切さも教えてくれますね。

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