程度の著しいことを表現する「形容詞+死了(sǐle)」
Submitted by whenis on 日, 04/21/2013 - 10:42あまり品のよい表現ではないのですが、日本語でも程度の著しいことを形容するのに「死ぬほど」という表現を使うことがありますね。改まった場では使えませんが、まさしくこの表現にしか言い表せないニュアンスがあります。日常会話ではよく使いますので、以下にいくつか例を示します。
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あまり品のよい表現ではないのですが、日本語でも程度の著しいことを形容するのに「死ぬほど」という表現を使うことがありますね。改まった場では使えませんが、まさしくこの表現にしか言い表せないニュアンスがあります。日常会話ではよく使いますので、以下にいくつか例を示します。
A:终于到了桂林了。
Zhōngyú dàole Guìlín le.
やっと桂林に着いた。
B:哎呀,累死了。
大厅(dàtīng/名詞):ホール
「你看见佳佳了吗?(Nǐ kànjiàn Jiājiā le ma?)」―佳佳を見ましたか?―というフレーズが登場しました。
混同してしまいがちなのですが、この場合、センテンスの中の動詞は「看」で、その結果補語が「见」です。「见」は「見る」という意味は持っておらず、「看」という動作に「到達した」という意味をつくります。
動詞や形容詞の後ろに補語「着(zhe)」がつくことで、「~している」「~してある」と動作や状態の持続を表現します。