whenisさんのブログ

皆さんこんにちは、「songyun.org中国語教室」というコーナーを始めました。このコーナーでは中国に関する知識や中国語の勉強方法などをご紹介いたしますので、このウェーブサイトを有効にご利用していただき、この中国語教室が皆様のお役にたちますように心より願っています。

私も日々日本語と英語を勉強していきたいと思っておりますので、今後とも、よろしくお願いいたします。

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北京地下鉄のたび ー動物園駅(动物园站)ー

北京動物園最寄の駅です。北京動物園は、世界で3番目に大きい動物園です。すでに100年以上の歴史があり、1906年(清光緒32年)に開園しました。園内には1940年につくられたサル山がありますが、開園当時、ここにいた猿の子どもも、すでに70から80歳のお爺さんザルです。

 北京動物園は多くの「一番」を持っています。"一番早く開園した動物園"、"一番大きい都市動物園"、"来園者の数が一番多い動物園"などなど。またここでは、たくさんの動物たちに会えるだけではなく、文化遺産も見られます。園内には、暢歓楼や、幽風堂、宋教仁記念塔など、動物園の歴史を見守ってきた文物があります。

 駅周辺には、北京展覧館や北京天文館、動物園服装市場など、多くの人でにぎわうスポットが集中しています。

 観光スポット

北京動物園(北京动物园)

北京の地下鉄の旅 ―平安里駅―

「里」という字が地名として使用され始めたのは春秋戦国時代で、最も盛んだったのは前漢から唐時代にかけてでした。しかし、北京においては「里」の字を地名として用いたのは民国時代で、1938年に出版された『最新北平全図』の中にその文字を見つけることができます。平安里の誕生は庄親王府と深い関係があります。清王朝末期、多くの旗人(旗とは支配階級だった満州族がつくった社会、軍事組織。八旗制度と呼ばれる。このいずれかに所属した満州人、モンゴル人、漢人は"旗人"と呼ばれた。)がいましたが、その中には皇帝の親類もいました。生活の支えを全て失い、食いつなぐために全ての財産や家を売らなければなりませんでした。庄親王の溥緒もそのうちの一人でした。1920年代、天津軍閥の李純とその弟の李馨が20万元相当の銀で、溥緒から住宅を買い上げました。そして彼らはここに新しい住宅を建設し、「平安 里」と名づけました。

 平安里交差点の北側には護国寺通りがあり、600メートルほどの通りは明、清時代には有名な商店街の1つでした。

 観光スポット

 護国寺(护国寺)

北京の地下鉄のたび ―国家図書館駅―

中国国家図書館最寄の駅です。中国国家図書館は、もともとは北京図書館と呼ばれ、1909年9月9日に建設が始まった京師図書館がその前身です。目下、世界最大の中国語文献の収蔵基地であり、アメリカ国会図書館、モスクワ図書館とともに世界三大図書館と言われています。1987年に第一期工事が終わり、ブルーを基調とするビルが完成しました。2008年の第二期工事として、図新館が建設されました。図書館の南には風光明媚な紫竹院公園が広がり、東には道を隔てて首都体育館があります。

 観光スポット

 紫竹院公園(紫竹院公园)

 紫竹院公園と国家図書館は、一本の河をはさんで建っています。この場所は悠久の歴史を持っています。元代に水利学者の郭守敬が水を引いて、湖をつくりました。明代に北岸に紫竹院が建てられ、清代に江南の水郷風景のような景観が備えられました。新中国成立時には荒廃し、一面の荒野となりましたが、その後整備されて、紫竹院公園となり、今も多くの観光客や北京市民が訪れています。

 五塔寺(五塔寺)

北京の地下鉄の旅 -魏公村駅-

文献考証によると、魏公村は元代にはすでにあり、明、清時代そして今へと続いています。でも、明、清の時代は畏吾村と呼ばれていました。魏公村の成り立ちは、古代ウイグル人と深く関係しています。元代、フビライの腹心で丞相だった古代ウイグル人の蒙速思は、死後、現在の魏公村付近に葬られました。その後一族も同じ地に葬られ、次第にここは一族の墓地へとなり、規模が広がっていきました。やがて、その周りに古代ウイグル人が住み着き、畏吾村へとなったのです。民国時代に入り、人々の考えも変わり市内の古い呼び名も変更され、最終的に魏公村となりました。

観光スポット ーー大慧寺

 大慧寺は1513年に建てられすでに500年の歴史があります。境内には、銅製の仏像があるため、「大仏寺」とも呼ばれています。大悲殿には、明代の3大芸術があります。建築、彩色された塑像、絵画です。これらは今もなお鑑賞価値と芸術的魅力を持っています。このほか大殿の東、北、西の三方の壁に前には28体の仏教を守る神像があります。1957年に北京市の重要文化財に指定されました。

中央民族大学民族博物館

北京の地下鉄の旅 -中関村駅―

中関村駅(中关村站)

 中関村という言葉を聞いて、人々が真っ先に思いつくのは、デジタル製品やハイテク企業、または中国のシリコンバレーといった類の言葉でしょう。でも中関村の名前の由来について知る人は少ないでしょう。考証によれば、明時代に源を発し、宮廷の宦官が今の中関村一帯を買い上げ、共同墓地をつくりました。明清時代に宦官は「中官」と呼ばれていたため、人々はこの墓地を「中官墳(中官の墓)」と呼びました。このほか宦官が廟や隠居のための庄園をつくり、「中官の村」と呼ばれたという説もあります。1980年10月23日に、中国科学院の研究員、陳春先氏が他に先駆けてここに民間の科学機構を設立しました。ここから「中国のシリコンバレー」と言われるようになった中関村の新しい歴史が始まったのです。

 グルメ

 中8楼

 雲南の特色を生かした料理と軽食のお店。竹に入ったお酒や、米線(米で作った面)が人気。

 場所:北京市海淀区中関村広場歩行街R17号

 焦葉(焦叶)

 タイ料理レストラン。店内もタイを思わすようなインテリアで、タイ舞踊などのパフォーマンスも楽しめる。

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